日本語原文は見つかっていない

もっとも、「田中上奏文」をめぐっては中国の雑誌に内容が掲載された1929年当時から偽書であることが指摘されてきた。それというのも、「田中上奏文」には漢文と英文のテキストのみが存在し、それらが中国を含む欧米各国に流布されていたのだが、天皇への上奏文には当然あるはずの日本語の原文が現在に至るも発見されていないのだ。

これに加えて、「田中上奏文」には明らかな事実誤認が複数見られることも、この文書が偽書であることを裏付けている。

ソ連・ロシア政治史を専門とする富田武の指摘をみてみよう。「田中上奏文」が偽書であることの根拠として、①文中に元老・山縣有朋がワシントン会議の結果調印された九カ国条約(1922年2月6日調印)に反対したと記されているが、当の山縣本人は同年2月1日に死去していること、②外モンゴル、内モンゴルに対する積極的な政策や植民地省設置の問題など、東方会議の議題にのぼらなかった話題について詳細に触れられていること、③「田中上奏文」の付属文書が宮内庁宛てに送られており、本来送るべき内大臣に宛てられていなかったことがあげられている。

こうした理由から、現代日本では「田中上奏文」が偽書であることが定説となっている。

田中義一第26代内閣総理大臣(元陸軍大臣)、1920年
田中義一第26代内閣総理大臣(元陸軍大臣)、1920年(写真=Agence Rol/フランス国立図書館所蔵/PD-1996/Wikimedia Commons

「大陸侵略プログラム」だったのか

それでは「アベ」が入手し、チチャーエフに提供したとされる、原文が存在しないはずの「田中上奏文」のテキストとは何だったのであろうか。『ロシア対外諜報史概説』では、上奏文が何語で書かれていたのか記されていないうえに入手時期も明らかにされていない。よって、上奏文入手の件は差し引いて読む必要があるだろう。

ロシア側の研究のなかには、ハルビンにおけるGRUのレジデントゥーラを率いていた暗号名「ニコライ」と呼ばれる駐在員が、OGPUのある支局から「田中上奏文」のコピーを入手したというものも見られる。

もっとも、ロシア側はソ連時代から現代に至るもなお、「田中上奏文」は現存した文書であると考えている。すなわち、1928年の張作霖爆殺事件に始まる一連の日本の大陸進出政策は、「田中上奏文」と呼ばれる気宇壮大な大陸侵略プログラムに基づいて実施されたものであるとの歴史認識は、21世紀の現代においても広く認知されているのだ――。

対中国政策を審議する田中総理(右から3人目)、1927年7月7日
対中国政策を審議する田中総理(右から3人目)、1927年7月7日(写真=毎日新聞社/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons