スパイの「アベ」はソウルで暗躍した

どのような経路で「田中上奏文」が「アベ」からチチャーエフに届けられたのか、今となっては皆目見当もつかないが、そこに記された内容を目にしたモスクワのOGPU指導者達は驚愕したことであろう。

ソ連国家保安委員会が置かれたモスクワのルヴャンカビル
写真=iStock.com/alex57111
ソ連国家保安委員会が置かれたモスクワのルヴャンカビル(※写真はイメージです)

OGPU外国部ソウル支局は中央から次のような命令を下された。すなわち、「日本の対ソ侵略準備に関わるあらゆる事実、特に北満洲、モンゴル、極東におけるソ連の利益を日本が侵害しようと準備しているあらゆる証拠を明らかにせよ」というものだ――。

チチャーエフにとって優れた情報提供者となった「アベ」は、朝鮮軍や憲兵司令部、朝鮮総督府に勤務する日本人を次々と対ソ協力者としてリクルートすることに成功した。

河西陽平『日ソ中立条約』(角川新書)
河西陽平『日ソ中立条約』(角川新書)

モスクワのOGPU本部が特に関心をもって受け止めたのは、朝鮮軍の動員計画やソ連極東部における日本人による諜報活動に関する書類であったが、これらは「アベ」の協力者である朝鮮軍将校によってもたらされたものだ。

『ロシア対外諜報史概説』によれば、満洲事変勃発後、「アベ」は活動の拠点をソウルからハルビンに移したという。新天地における「アベ」の任務は多岐にわたる。政治情報の収集のほか、ロシア人エージェントによる情報の整理、情報収集源としての日本のハルビン特務機関や警察との連絡を維持すること、ロシア系移民組織との活動、諜報活動拠点を満洲領内に移転させるのを容易にすることなどだ。いかにOGPUが「アベ」を高く評価していたかが分かる。

「アベ」は日本人か、それとも…

多忙を極めるなか、「アベ」はOGPU外国部ソウル支局に、満洲に到着した日本軍部隊の配置や装備、ソ連に対する軍事行動の準備に関する情報を提供した――満洲事変後の関東軍の動きについて、「アベ」はソ連側に伝達し続けていたのであった。

現在までに分かっているところによれば、「アベ」の対ソ協力活動は1935年頃までで、「サソウ」と呼ばれる関東軍の憲兵大佐の庇護を得て行われていたという。

そして富田武の研究によって、「アベ」は戦後ソ連によるシベリア抑留を経験した阿部幸一、「サソウ」とはウラジオストクの特務機関において荒木貞夫の部下として勤務した歩兵中尉の佐相寅秀であることが明らかにされた。日本の対ソ情報協力者の正体が明らかとなった数少ない例といえよう。

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