なぜ宮路山城が重要だったのか?

ところで、先ほどの布陣図をもう一度見てほしい。足守川を挟んで毛利方の各陣と向かい合っているが、注目すべきは北の端、足守川の上流方面だ。備中高松城から北北東に約6kmのところにある宮路山城(図表2:②岡山市北区大井2485)。この城の攻防戦こそが、秀吉の水攻め決行を裏付ける大きな要因となったのだ。

宮路山城の重要性もやはり、地形を見ればよくわかる。備中高松城の西側を北から南へと流れ、水攻めに欠かせない足守川が、平野へと流れ出すそのとば口にあたるのが、宮路山城のあるあたり。両側から山が迫り、キュッと狭くなっている。

左のピークが宮路山城
撮影=今泉慎一(風来堂)
左のピークが宮路山城。中央の山と山の隙間を足守川が流れる

水攻めを成功させるには、豊富な水が不可欠。それをもたらしてくれる足守川を眼下に睨む位置にあるのが宮路山城。ということは、もうおわかりだろう。この地を制さなければ、水攻めは成功に導けないのだ。極端な話、この足守川のとば口を塞いでしまえば下流に水は供給できなくなってしまう。

実はこのとば口を睨む城がもうひとつある。宮路山城と川を挟んで東側のピークにある鍛冶山城(図表2:③岡山市北区足守3010-2)だ。

鍛冶山城は元々、毛利家が押さえていたが、備中高松城攻めの頃には宇喜多家に奪われていたという。当時の宇喜多家は織田方なので、川を挟んで二城が睨み合っていたわけだ。そうなると、毛利家も容易に川を堰き止めたりもできないだろうが、いざ備中高松城がピンチとなれば、決死の覚悟で敢行しないとも限らない。あるいは先を見越して、鍛冶山城を奪取してしまう可能性だってある。

いずれにせよ、目障めざわりな存在である宮路山城は、攻略すべきだ。ではその城の実態はというと、これがとんでもなく防備を固めまくった城なのだった。

群を抜いて手堅い山城の実態

宮路山城の比高(麓からの標高差)は約130m。東西に約200mほどの主尾根と、その周辺に築かれた山城は、今なお全方位的にゴツい遺構がしっかり残存している。

西側の谷筋から登るのが最も近道だが、急勾配を上り切ると細尾根状を鋭く削った二重堀切が現れる。さらにその脇の斜面には、畝状竪堀群をズラリと従えている。

主尾根西端付近の二重堀切
撮影=今泉慎一(風来堂)
主尾根西端付近の二重堀切のひとつ
主尾根西端、北側斜面の畝状竪堀群
撮影=今泉慎一(風来堂)
主尾根西端、北側斜面の畝状竪堀群