作戦の根拠は、ある城の存在

秀吉がなぜ、前代未聞の「水攻め」を決意できたか。この戦いの布陣図を見てみれば、そのヒントが隠れている。

【図表2】備中高松城攻めの布陣図
※Geminiを使用し、編集部作成

水攻めを成功させるには、築堤と山で四方を囲んだだけでは足りない。その中にいかに大量の水を引き込むかが鍵となるが、備中高松城の西側には、ちょうど足守川が流れている。築堤によってこの川の流路を東に曲げれば、見事に備中高松城一帯を水没させられるのだ。

この戦いの終盤、秀吉本陣は高松城の東側にあった。この石井山陣に移ったのはちょうど、築堤が完成した頃。「これで勝ち確」と確信して、それ以前の竜(龍)王山陣から前進したのだろう。

石井山陣
撮影=今泉慎一(風来堂)
石井山陣。備中高松城から直線で約800m。それ以前の竜王山陣はその約倍離れていた
備中高松城本丸の案内板
撮影=今泉慎一(風来堂)
石井山陣から見下ろす備中高松城(備中高松城本丸の案内板より)
石井山陣からの実際の眺望
撮影=今泉慎一(風来堂)
石井山陣からの実際の眺望。中央のこんもりした木立が備中高松城本丸
石井山陣にある清水宗治首塚跡
撮影=今泉慎一(風来堂)
石井山陣にある清水宗治首塚跡。1909(明治42)年まではここに埋葬されていた