小説1本の不安からパソコン教室に通った
【角田】小説を書きたいということと、考えたいということが、無意識にせよ、デビューしたころからセットになっていたんだと思います。しかもお医者さんとかと違って、小説家は書かなければ無職じゃないですか。私の場合はやっぱり、書かなければ作家じゃないという思いがある。何を書きたいとか以前に、書いてないと作家じゃないというのがあると思っています。
【東畑】なるほど。だとすると、作家であることというのはなんなんでしょうか。
【角田】えっと......仕事を持ってるってことですかね。仕事ってつまり、依頼があって、それを受け、報酬を得る。
【東畑】なんと(笑)。社会人としての小説家。でも、仕事って、一方にはお金のためにあって、でももう一方に、アイデンティティを支えるもの、自分であるために必要なものでもありますよね。その意味で、作家をやり続けることの価値とは、つまり、作家であることから何が得られるということなんでしょうか?
【角田】身分証明に近いと思うんです。別に何者でもなくていいんですけども、身分証明書がないと非常に不安な感じがするじゃないですか。そんな感じだと思います。
【東畑】不安になる?
【角田】心もとなさ、というんでしょうか。『方舟を燃やす』を書いた後に、私はこの仕事1本では食べていけないと本気で思って、パソコン教室に行ったんですよ。周りの生徒はおばあちゃんとかなんですけど、私は物分かりが早くて結構すぐできちゃうんです。
プロになる前の「研修中」の辛さ
【角田】でもエクセルで塗り絵ができるなと思っても、これで私が生きていけるはずはないと思うんですよ。小説家という身分証明書を剝奪されて、エクセルを覚えなさいという、そういう心もとなさですね。しかも現実のエクセル界には塗り絵どころか、近未来みたいな技を使いこなす人がすでにたくさんいますよね。そんなところで「塗り絵できるようになりました」と言っても、相手にされませんよね。その丸腰感がこわいんだと思います。
【東畑】パソコン教室! 角田さんが行くんですね、すごいな。続けられなくなるかもしれないとそこまで思われた。話は核心に近づいてきますね。でも......すごくふしぎです。作家の他にはなにもできないということなんですか?
【角田】できますよ! 全然できます。エクセルも覚えが早いし(笑)。でも、これからその道のプロになるのは非常に難しい。たとえば接客だってできると思うんですけど、これから学んで接客のプロですって言えるまでには時間が掛かって、その時間を掛けてる間はまだ研修中みたいな状態じゃないですか。それが心もとない。
【東畑】職業があり、そのプロであるということが安心させてくれるということなんですか?
【角田】そうですね。その職業に実績があるということは安心材料になります。たとえ自信は持てなくても、どんなふうに何をやってきたかを自分は知っているわけですから。



