「生産性のない人には価値がない」と怒る人がいる。その人はなにに怒っているのか。臨床心理学者の東畑開人さんは、「私も精神科デイケア施設に勤めていた時、なにもすることがない時間はつらかった。だから、なにかしなければと焦る気持ちはわかります。しかし『ただ、いる、だけ』という時間がいかに人を支えているかを思うと、効率を求める人の苦しさもわかってくるんです」という――。

「生きることの基本的なところに触れている感覚」

なにもしていない人は「ダメな人」なのだろうか。臨床心理学者である東畑開人さんの著書『居るのはつらいよ』(医学書院)は、沖縄の精神科デイケア施設での物語を通して、人が「ただ、いる、だけ」の価値を伝えている。

本書の舞台となっているデイケアには、統合失調症、躁うつ病、発達障害、パーソナリティ障害などのさまざまな精神障害者が通っている。社会復帰が容易ではなく、そもそも社会に「いる」ことが難しい人たちが、人と一緒に「いる」ために集まる施設だ。

現代社会では、効率的に成果を出すこと、結果を示すことが強く求められる。一方、東畑さんの仕事は、そこで一緒に「いる」ことだった。その日々には「生きることの基本的なところに触れている感覚」があったという。どういう意味なのか。東畑さんに聞いた。

臨床心理学者の東畑開人さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

東京での時間には「わかりやすい意味」がある

――本には「デイケアで過ごす10時間のうちかなり多くが自由時間」とありました。その時間は何かを「する」のではなく「いる」時間だと。どう過ごしていたのですか?

【東畑】今、僕は東京の異常に早い時間の流れのなかで生きていますけど、デイケアでは毎日ひたすら座って、ゆっくりした時間のなかでボーッと暮らしていました。お茶を飲んだり、トランプをしたり、おしゃべりをしたり。普通に「いる」がむずかしくなってしまった患者さんがそこに「いる」ことを支えるためには、スタッフもとにかく「ただ、いる、だけ」を徹底していたということですね。こう言うと、優雅に見えるかもしれないけれども、それは決して気持ち良いだけのものではありませんでした。というか、つらい(笑)。

――前半には、デイケア施設での「ただ、いる、だけ」に苦しんだ「僕」が、本棚を眺めてうなずいてみたり、机の木目を数え始めたりする場面もありますね。

【東畑】「ただ、いる、だけ」には、「これは意味がある」とはっきり言い切れないつらさがあると思っています。東京での時間はわかりやすいですよね。一つずつの時間に意味が付与されていて、意味がないものはどんどん削られていく。だから、東京は意味にまみれています。でも、デイケアの時間は違う。そこでただ座っているのが仕事になると、「それでいいのか」という声が自分の中で響き始める。わかりやすい意味がないことに、自分が耐えられないんです。