専門用語で裁判を描くことはできなかった
【角田】年を経るごとにわかってきます。これは他の作家さんが書けばいいや、みたいに。むしろ、ほとんどのことはそうですよね。ヤクザの話とか、ペットショップの闇とか、興味はあるけれどそれは個人として知りたいのであって、小説として私が扱えるものではない。それがわかってくるので、どんどん狭まっていくんです。
【東畑】逆に言うと、これなら私が考えられる問題なんじゃないかというのも見えてくるという話ですよね。たとえば『紙の月』でいうと、横領はいけるのではないかと思って……?
【角田】いや、横領は苦手分野ですね(笑)。でも、お金が介在する恋愛をどうしても書きたかったので、がんばって取材しました。それと、限界がいつもあります。たとえば『坂の途中の家』は裁判の話なんですけど、裁判用語を一切使ってないと指摘されたことがあって。
佐々木譲の『沈黙法廷』は法廷の言葉で書かれている小説なのですが、それを読んでいたときに、自分が専門用語を使わなかった理由がわかる感じがしました。さっきのたとえですと包丁が違うとはこういうことで、私にできないことがまさにそれだなと。私は関わった人の感想という形でしか裁判を書けなかったんです。
書き続けられるのは「なりたかった職業」だから
【東畑】ここまで、考えたいことがあるから書き続けられているという角田さんに対して、僕は「考えたいことってなくなっちゃうんじゃないか」とずっと訊いていますね。ずっと考えたいことがあるって、あんまり普通のことではないんじゃないかと思う。でも、角田さんは実際にそれをやり続けている。それがこの膨大な作品リストに表れていると思います。それってどういうことなのか、それを知りたいのだと思います。
ちょっと角度をずらして言うと、なぜそんなにずっと小説を書き続けられるんだろうかという素朴な問いです。そのモチベーションはなんなのだろうかと。普通の仕事だと異動したり、転職して仕事そのものを変えたりもするじゃないですか。ずっと同じことをやっていると飽きてくるし、辛抱強く同じことをやり続けるのは簡単じゃないと思うんです。
【角田】考え続けていられるのは、答えが出ないからではないかと思います。それこそ時代や年齢の変化によって、出たような気がしても、また変形した疑問が投げかけられる。それをなぜ小説を媒体にして考えたいかといえば、なりたかった職業だから、ということになるのかな......。

