40〜50代の人生の折り返し地点で、葛藤や焦りを感じる人がいる。この「中年の危機」と呼ばれる状態を、どうすれば乗り越えられるのか。作家の角田光代さんは「50代になって、この仕事一本では食べていけないと本気で思い、パソコン教室に通った」という。臨床心理学者・東畑開人さんの著書『ミドル・エイジ・ビギンズ』(KADOKAWA)より、2人の対談の一部を紹介する――。

書きたいこと=考えたいこと

【東畑開人(以下、東畑)】書きたいことというのは常にあるんですか?

【角田光代(以下、角田)】この時期(40代になった頃)はありましたね。出版社から依頼を受けて書いていて、順番があるので、「これが終わったら」「何年後くらいに」とか決まっていて。だから常に3、4個ぐらい先までは、これを書きたいということがありました。長編にしても短編にしても。

角田光代さん
撮影=森清
角田光代さん

【東畑】書きたいことがあるというのは、つまりは何が自分の中にあるという感覚なのでしょうか。こういう物語があり得るのではないか、みたいな予感があるということ?

【角田】考えたいことがある、に近い感じですね。たぶんそれが小説のテーマなんですけど。たとえば『八日目のせみ』だと、母性ってなんだろうというか、この社会があまりにも母性を信じていないか、「なんか母性に頼りすぎてない?」みたいなことをちゃんと考えたい。『ひそやかな花園』は人工授精の話なんですけど、それについて考えたいという気持ちがずっとあって。

【東畑】ああ、なるほど……。実は僕はこの「書きたいこと問題」について困っていて、それでお尋ねしたんです。というのも、ついこの前、20年越しの謎が解き終わったんですよ。

考えたいことは無限にあるわけではない

【角田】えっ、それはどんな?

【東畑】「カウンセリングとは何か」というのが、大学院以来の根本的な問いとしてあったんです。自分の仕事そのものなんですけど、ふしぎでしょうがなかった。それで、その謎を解くために、いろいろな本を書いて、ひとつずつ部分的で小さな答えを出していったんです。

それが20年積み重なって、この前ストレートに『カウンセリングとは何か』という本を書いてみたら、ちゃんと答えを出せた感じがして。カウンセリングというものにちゃんと触れることができたんだなという実感がありました。

学問というものは、やればやるほど次の問いが出てくると若い頃から言われていたんですが、この本を書き終えてみたら案外「もう終わったな」みたいな気持ちになっているんです。20年考えていると、それが正しいかどうかは別にして、僕なりの答えが出る。すると、考えたいことって、無限にあるわけではないのだなと最近思っていました。

もちろん、書き終わった虚脱感と達成感でそうなっている可能性もあるのですが、でも切実なんです。人生は続くわけなので、これからどうしたらいいんだろう、と。それも多分、この企画を始める背景にあった私的な理由の1つだと思います。ですから、角田さんが考えたいことが次々出てくるというのはどういうことなんだろうと。