「時間だけがすぎていく」が最も大きな損失

結局のところ、この先、世の中がどう変化するのか、経済がどうなるのかなど、素人にはもちろん、専門のアナリストでさえ予測は困難です。

災害も、起きるかもしれないし、起きないかもしれない。起きたとしても、自分や自分が購入した家に被害が及ぶかどうかなんて、わかりません。

万が一、想定外のことが起こった場合、そのときになって対処しても十分間に合ったり、なんとかなってしまったりすることも意外に少なくありません。

将来どうなるかわからないから、何も決断できず、行動もせずに悩み続けて、時間だけがすぎていくというのが、最も大きな損失といえるのではないでしょうか。

リビングでスマートフォンを使用する中年男性
写真=iStock.com/pain au chocolat
※写真はイメージです

迷っているくらいなら、「一か八か」でやってみる。

それで何か問題やアクシデントが起こっても、そのときはそのときで、「出たとこ勝負」の覚悟をするのは、浅はかでもなければ、無謀なことでもないのです。

ファジーな答えを出せる柔軟な思考を

「答えのない時代」「正解のない時代」を生きるために大事なことを、もう一つお話しします。それは、「ファジー」に生きる、ということです。50代以上の人だと「ああ、昔流行ったあれね」と懐かしく思うかもしれません。

ファジーは、英語の「fuzzy」からきている言葉です。もとの意味は「毛羽けばだった、綿毛状の」。ここから派生して「曖昧な、不明瞭な、はっきりしない、ぼーっとした」といった意味があります。

昔流行ったファジーは後者の意味です。1990年の流行語大賞に選出されており、90年代には日常的に使われていた言葉でした。

この言葉が有名になったのは、「ファジーコンピュータ」や「ファジー家電」などが開発されたことがきっかけです。コンピュータは「0か1か」ですべてが処理され、表現されるものです。それが「0か1か」では取り扱えない、本来は数値化できない人間の感覚などの曖昧なものを数値化してプログラミングしたコンピュータが「ファジーコンピュータ」です。

ファジーコンピュータのように、ものごとを「0か1か」で決めるのではなく「これもある・あれもある」「こうも考えられる・ああも考えられる」とファジーな答えを出せる柔軟な思考が、「答えのない時代」には必要だと私は考えています。

ファジー家電は要するに、人間の曖昧な感覚をコンピュータに実現させて機械を制御していたわけですが「それって、今のAIに似ている」と思われたなら、まさにその通りです。ファジー理論は、現代のAIのもととなった理論なのです。