「まあ、いいか」で受け入れる
例えば、夫が自分には内緒で、高額なカメラを買っていたことが発覚したとします。
「子供の教育費がかかるときに、こんなのあり得ないでしょっ!」と怒りたくなるでしょう。しかし、その怒りを引きずったら、関係もギクシャクしますし、嫌な思いを抱え続けることになります。
「写真が唯一の趣味だし、こういうこともありかな。まあ、いいか」と考えてみると怒りが和らいで、「カメラを買ったんだから、稼いできてね」と笑って対処できるかもしれません。
また、職場の部下に、準備が必要な書類作成を指示したところ、締切当日の夕方までかかった挙句に、読んでみたら不備だらけだった。そのフォローのために夕方からの予定をキャンセルして、残業して書類を仕上げなければならなくなったとします。
「なんでこんなことに……」とイライラが収まりません。でも「そういえば、自分も新人の頃、ミスして迷惑をかけたことがあったな。そういうこともあるものだ。まあ、いいか」と思ってみれば建設的に取り組むこともできるでしょう。部下も謝罪と感謝を伝えることができるというものです。
自分に厳しい人は、他人にも厳しさを求めます。だからミスに対しても「あってはならないのに」と思ってしまいます。
しかし、自分と同じようにできなくても「他人は他人。まあ、いいか」と切り替えてみてはどうでしょう。
同じように、自分がうまくいかなかったときも、厳しく自分を責めたり、自己嫌悪したりするのではなく、「まあ、いいか」と受け入れるといいのです。
「まあ、いいか」と思えれば、人間関係の摩擦も少なくなり、無用に自分を追い詰めることもなくなります。口に出してみると、不思議と心に余裕が生まれます。心の底から「まあ、いいか」と思えなくても、まずは形から入ってみるといいのです。
世間の基準に従っても自由でも人間は悩む
「答えのない時代」「正解のない時代」といわれるようになって久しいですが、実際「これから、どのような生き方をすればよいのか」と問われても、その答えを挙げるのは困難です。
一昔前までは、一応、世間的な基準があって、それに沿った生き方をすれば無難に、そこそこ幸せに生きていくことができました。
学歴は高いほうがいい。だから名門大学進学率の高い高校を選ベばよい。就職するなら、一部上場の有名企業か、景気にかかわらず安定している業界がいい。結婚相手は女性なら育ちのよいお嬢さん、男性なら高学歴・高収入・高身長がいい。家は賃貸より持ち家がいい。
こうして、世間一般の物差しで測れば、大きな失敗をすることはないと考えて、一律の基準に目標を定めて歩いていけばかつてはまあまあよかったのです。
しかし、多様性が大切にされる世界では、さまざまな物差しがあり、それを尊重するのがルールです。唯一絶対な物差しはないだけに、迷いや悩みにぶつかることがかつてより増えて当然といえば当然です。
かつてと比べて、常識的な生き方にこだわる必要がなくなり、自由に生きられるようになりました。その反面、人生の選択も自己責任になりました。どんな生き方をするにしても、うまくいくかどうかはやってみなければわかりません。不安も伴います。
「こうあるべき」で縛られていたらそれで悩む。「こうあるべき」の縛りがなくなったら、何を基準にしたらよいのかで悩む。結局、人間は悩む生き物なのかもしれません。

