母の一言で心が折れた

重度の発達障害がある次男の責任は、自身が痛いほどわかっていた。だからこそ、実の母親であろうと踏み込まれたくない、絶対に触れられたくない領域だった。その言葉を浴びた瞬間、上野さんは過呼吸でその場にうずくまった。以来、頻繁に症状が出るようになり、心療内科でうつ病とパニック障害と診断される。

母・紀美子さんは「その時のことはぜんぜん覚えてない」と言う。母自身も限界に達しており余裕がなかったのだとわかっていた。だが上野さんは、「言われたことは忘れへんから、やっぱどうしてもくすぶってたね」と、振り返る。

電車のホームや国道の信号待ちで、何度も死ぬことを考えた。主治医には「とにかく一人にならないでください。家族の人は、1時間でも彼女から目を離さないで」と言われた。家庭の中は、めちゃめちゃだった。

長女が中学生の時、学校のトイレの窓から飛び降りようとしたことがあった。「10代だった長女を、私のせいでヤングケアラーにしてしまった。一生つぐなってもつぐないきれへん」と上野さんは声を落として言う。

自分の家族を追い詰めてしまったという消えない後悔を、上野さんは抱え続けてきた。

母とは和解し、店を手伝ってもらっている
筆者撮影
母とは和解し、店を手伝ってもらっている

一人で始めたホームレス支援

だが少しずつ、彼女は社会との接点を取り戻していく。うつ発症から7年後の2015年、47歳の時である。上野さんは、単身で梅田にいるホームレス支援を始めた。

「好奇心が芽生えたことが、回復の兆しだったんやろうと思う。最初は、純粋な興味からでした。あの人達は何であそこで寝てるんやろうって」

思い立ったらいてもたってもいられず、クリアケースにあんぱんや缶コーヒーを詰めて、高架下に座り込んでいるホームレスに声をかけた。

最初は「なんや、スーツでヒール履いた姉ちゃんが近寄ってきた」と思われ、まったく相手にされなかった。ある日、化粧もせずにTシャツに首からタオルを下げて配りに行くと、ようやく物資を受け取ってもらえるようになった。

上野さんがあまりにも熱心に通い詰めるので、次第にホームレスの人に笑顔が見られるようになった。その経験が、彼女の心を癒した。

「ずっと家族がぐちゃぐちゃだったから、外に救いを求めてたんだと思います。おっちゃんたちに『ありがとう』って言われて、本当に嬉しくて仕方なかった」

どん底を知り、絶望を乗り越えた人間が語る言葉だからこそ、人に届くのだろう。2018年の大阪府北部地震で被災した際には、SNSでの呼びかけに全国から4tトラック2台分もの支援物資が集まった。

「あまりにも量が多いので『誰でもいいから、取りにおいで』って声をかけたら、おかげで家の前はガレージセールみたいになりました。その経験が、今のスタート地点かもしれない」

上野さんはその後、自宅で「おかえり」の前身となる子ども食堂を立ち上げた。被災した際に物資を取りに来た人とは連絡先を交換していたこともあり、毎日のように近所の人が訪れ、まるで「町の集会所」のような場所になっていく。

上野さんが作る惣菜。業務スーパーで卸した冷凍食品や届いた物資で献立を考えるという
画像提供=おかえり
上野さんが作る総菜。業務スーパーで仕入れた冷凍食品や届いた物資で献立を考えるという