運営はいつも綱渡り
昨年11月には預金残高が90万円を切り、資金ショートの危機に陥った。法人登記や事業所登録もしておらず、税理士の判断で「ボランティア活動」として税務を通している。
常に綱渡りの運営だが、それでも目の前の人を救うために店を開き続けている。一体なぜそのような状態でも続けているのか?
現代社会には、一見普通に生活しているように見えても、公的窓口では門前払いされ、誰にも助けを求められない「見えにくい困窮」が溢れている。派遣切りに遭った中高年、孤立するシングルマザー、生きづらさを抱える発達障害の人々……。
「お腹いっぱいになれば、何とかなる」という、上野さんの言葉は、単なる精神論ではないのかもしれない。絶望の淵にいる人を社会に繋ぎ止めるために奔走する彼女に、話を聞いた。
人を巻き込む力は“どん底”から生まれた
3年前、上野さんが大雨の買い出し中に、自転車で右膝の半月板を複雑損傷して動けなくなったことがあった。それを聞いた仕入れ先である業務用スーパーの社長が「自転車は危ないから」と食材を店まで無償で配達してくれるようになった。
それ以外にも、全国から大量のお米や野菜が不定期で届けられる。寄付金や物資が途切れないのは、彼女の人柄と活動によるものだろうが、それだけではない。人を強く巻き込むのには理由があるのだ。それは彼女自身の、7年間に及ぶ「どん底」が背景にある。
1968年に生まれた上野さんは、豊中市で育った。20代でシングルマザーになり、長女とともに両親と暮らし始めた。その後、再婚し、2人の子どもに恵まれるが、次男が重い心臓疾患と発達障害があることがわかる。次男は入退院を繰り返し、上野さんはその対応に明け暮れた。
その頃、父親が脳梗塞で倒れ、介護が始まった。狭いアパートに両親と5人家族。足の踏み場もない状態だった。
2014年、ゴールデンウィーク明けのある日、仕事から帰ってきた母・紀美子さんから、決定的な言葉をぶつけられた。
「『あんたはそんなんやから障害児しか産まんねん』っていう言葉が、私の地雷でした」と上野さんは振り返る。


