籠城に必須、二つの重要遺構
そして八上城の着目すべき遺構は、もうひとつの主尾根、本丸から北東に伸びる尾根とその周辺にある。
兵糧蔵があったといわれる蔵屋敷、今も水を湛えている「朝路池」と、籠城戦で必須の食糧と水現地に関する遺構。後者の看板には「落城の際、(波多野秀治の娘である)朝路姫が入水自殺し、又財宝を埋めたとも伝えられる」とあるが、流石にこれは眉唾だろう。それはともかく山城の井戸としてはかなり立派なほうだ。
その先には「馬駈場」と名付けられた直線的で幅は狭いが平坦な尾根が伸び、さらにその先に芥丸。ここが最も城内で眺望が開けており、篠山盆地の中心地が見渡せる。
さらに進んだ尾根の最先端が西蔵丸。ここから振り返ると本丸のピークが正面に見える。木が生い茂る木を伐採すれば、ここからも城下の山陰道や篠山盆地が一望できたはずだ。
光秀の判断に間違いはなかったか
最初に触れた通り、八上城は本丸から四方に伸びる複数の尾根全てが城域だが、以上でほぼ主要なエリアは踏まえたことになる。全体的にやや人工的な造作は甘い感じだが、峻険かつ複雑な元々の地形に恵まれており、文字通り天然の要害だったといえる。でなければ、光秀の猛攻に9カ月も耐えられたはずがない。光秀が強攻せず、降伏勧告をしたのもうなずける。
すでに戦意喪失している敵を追い詰めないことで、続く黒井城攻略にも兵を温存できるし、今後の丹波統治も容易になる。城内に残る敵兵たちの信頼も得られる。理に聡い光秀の判断は見事だった。はずなのだが……。





