どうして、もっと大切にしようとしないのか

だが、伝黒金門を通り抜けた先の、伝黒金門の石垣とともに虎口を形成する「伝二の丸」の石垣はもっとひどい。石垣上には木が森のように繁茂し、築石のあいだからも木がたくさん生え、根を張っている。早く除去しないと、根のせいで石垣が変形し、最悪の場合、崩落へとつながる。

その先の「本丸西虎口」などはさらに荒れている、通路際の石垣はまだいいが、そこから東方向に延びる石垣は、ジャングルのような樹木で完全に覆われ、見えている部分も草や灌木が生い茂っている。

天守台も同様だ。上部がかなり崩れているのは仕方ないとしても、笹や草や灌木が生え放題だ。前述した華麗な天守が建っていた石垣である。それをどうして、もっと大切にしようとしないのか。

また「伝本丸」には、信長の御座所のものと思われる礎石が並ぶが、「伝本丸」全体が樹林状態で、木の根で礎石が持ち上がり、一部は割れてしまっている。東側の石垣で一段高くなった「伝三の丸」は、信長の会所(接客所)だったと考えられているが、ここに至っては荒れるにまかされた樹林である。

「史跡の国宝」は荒れ放題なのか

「伝本丸」には先ほど通り抜けた西虎口のほか、「本丸南虎口」「本丸東虎口」「本丸北虎口」があるが、いずれも奥へは進めない。進入が禁止されているだけでなく、その先は荒れ放題なのである。

そのなかでも天守台の北側の本丸北虎口は、以前は石垣等が整備され、直下の「伝搦手門」の方面まで歩いていけたが、現在は進入禁止で、進入したところで、荒れていて歩くこともできない。

中枢部にしてこうなのだから、ほかのエリアが相当に傷んでいるのはいうまでもない。

安土城は国の特別史跡に指定されている。史跡と特別史跡の関係は、重要文化財と国宝の関係と同じである。2026年5月現在、国指定史跡は全国に1923あるが、特別史跡は66にすぎない。つまり、とくに価値が高い重要文化財が国宝に指定されるのと同様に、とくに重要な史跡が特別史跡とされる。「史跡の国宝」といわれるが、正しい表現である。

時代を画した織田信長の野望と夢の跡で、国がそれほどのお墨付きをあたえているのに、なぜこれほど荒れた状態なのだろうか。