現在の安土城はかなり危うい状況
イエズス会の宣教師ルイス・フロイスは安土城の天主について、『日本史』にこう書く。
〈彼らが天守と呼ぶ一種の塔があり、我らヨーロッパの塔よりもはるかに気品があり壮大な別種の建築である。(中略)この塔は七層から成り、内部、外部ともに驚くほど見事な建築技術によって造営された。事実、内部にあっては、四方の壁に鮮やかに描かれた金色、その他色とりどりの肖像が、そのすべてを埋めつくしている。外部では、これら(七層)の層ごとに種々の色分けがなされている。あるものは、日本で用いられている漆塗り、すなわち黒い漆を塗った窓を配した白壁となっており、それがこの上ない美観を呈している。他のあるものは赤く、あるいは青く塗られており、最上層はすべて金色となっている〉(松田毅一・川崎桃太訳)
天主を含む安土城の中枢部は残念ながら、本能寺の変から13日後の天正10年(1582)6月15日に焼失してしまった。空前の絢爛豪華な城はわずか6年で失われた。このため現在にいたるまで、幻の城として歴史ファンのロマンをかき立てている。
だが、羽柴秀吉の大坂城のように石垣もろとも埋められてしまったわけではない。崩れたり手が加えられたりはしても、石垣や建物の礎石などはよく残っている。私たちも子々孫々も信長の城を実感できるように、せめてそれらを整備してほしいと願うが、現状、かなり危うい状態にあるのである。
石垣の上に樹木が茂り放題
平成元年(1989)からの発掘調査で、安土山の南山麓から山上へと約130メートルにわたり真っすぐに延びる大手道が発掘され、幅6メートルの通路と両側にもうけられた幅1メートルほどの側溝が整備されている。この大手道が登城路だが、両側に階段状に配置されている重臣たちの屋敷跡は、必ずしも整備されていない。
大手道を登りはじめてすぐ左の「伝羽柴秀吉邸」は、発掘で検出した礎石なども見えるように整備され、樹木も伐採されている。だが、向かいの「伝前田利家邸」は、現状は樹木が生い茂り放題になっている。
だた、この辺りは安土城の中枢ではない。中枢部分では「信長の夢の跡」がわかりやすく示されているのだろうか。そこは、大手道を登り切ってから幾重にも折れる石段を登ったところにある「伝黒金門」から先だ。
伝黒金門は中枢部の正門だから、訪れた人を威圧するように多くの巨石が積まれ、また、ここから内側は外側にくらべて全体に石垣の築石が大きい。それだけ重要なエリアだった証だが、残念なことに、伝黒金門の石垣上は樹木が茂るにまかされている。
かつて櫓門が建っていた石垣上が、まったく整備されていないのだ。樹木の根は成長するほど石垣内に侵食して圧力をかけるので、心配になる。

