「日本人はみんな同じ顔をしている」
まず「称賛報道」の側から見よう。日本人のゴミ拾いは、すでに30年近い歴史があり、ワールドカップごとに世界中で報道されている。それなのに、FIFAの公式Xは、まるで初見とでも言いたげに撮影し、ポストした。
ここにはまずもってオリエンタリズムがあるのではないか。それは、東洋=オリエントに対する偏見と蔑視と、物珍しげに愛でる視線が入り混じった感覚であり、西洋で長く続いている。世界3位の経済大国とはいえ、東の海に浮かぶ島国=日本とのイメージは根強い。
実際、先日、私がフランス人を相手にフランス語で講演したときも、このイメージを痛感した。その講演は、フランスの新聞ル・モンドの読者を対象にした日本ツアーであり、「Voyage au pays du soleil levant」=日出る国への旅行、と題され、いまだに聖徳太子のセリフが使われていた。「なぜ日本では、女性首相がいるのに、女性天皇がいないのか」との私への質問も、事前の準備を踏まえてはいたものの、それでも、日本=神秘の国、との印象を拭えなかった。
「称賛報道」は、こうした流れに棹さす。サムライ、ゲイシャ、とまではいかずとも、黒髪に、細い目、低い身長、などと日本人のステレオタイプは消えない。オランダ代表OBが「日本人はみんな同じ顔をしている」と発言したように、白人、とりわけ、西ヨーロッパの白人の目には、東洋の不可思議な人たち=日本人、との印象は根深い。
欧米の評価を気にするアンビバレント
ゴミ拾いは、そんな解せない人たちの、謎を秘めた振る舞いの筆頭なのではないか。そうでなければ、少なくとも10年以上にわたって、毎回「称賛報道」を繰り返す説明がつかないのではないか。
褒められる側の日本は、どうか。久保建英選手をはじめとして、欧州リーグで活躍している選手が多い。いや、多いどころか、先日のオランダ戦の先発は全員が、Jリーグ以外の、つまり「海外組」と呼ばれる選手たちで占められていた。
まさにこの「海外組」との呼び方が、「称賛報道」に通じている。サッカーをするのに海外も国内もない。前者が上位で、後者が下位、そんな序列が確かにあるとはいえ、日本語以外の言語、たとえば、英語ではわざわざoverseas(海外)とnational(国内)などと色分けはしない。
これほど多くの選手が「海外」で躍動している時代にあってなお、その呼称を使い続けている。ここに、外側=進んだ欧米のまなざしを気にする「島国根性」があらわになっているのではないか。そして、この根性が、30年も定着して久しい「日本人のゴミ拾い」の称賛へのアンビバレントな反応を招くのではないか。

