世界からの称賛という「恒例行事」

あの頃の日本は、まだワールドカップに一度も出場できていなかったから、まるで国民全体の悲願であるかのように、連日連夜、代表の動向が報じられ、人々は、最終予選に一喜一憂していた。記事には書かれていないものの、おそらくは、この試合の後も、彼らの持っていた袋は、応援のためだけではなく、本来の役目=ゴミ拾いにも使われたのではないか。

この5年後の2002年、日本と韓国で共同開催された際にも、埼玉スタジアム周辺を、埼玉の草サッカーチームが、ごみ拾いをしたと報じられている(「朝日新聞」2002年5月20日朝刊)。この時すでに、日本がいかに清潔で安全な国であるのかが、世界中に知らされ、そして、サポーターたちのゴミ拾いが驚きをもって受け止められていた。

誰もいないスタジアムの観客席
写真=iStock.com/Roman Mykhalchuk
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その後も、たとえば、2014年のブラジル大会では、コートジボワールに敗退を喫したあと、「応援に使っていた青いゴミ袋を使って、スタンドのゴミを集めて回った」姿を、地元紙フォーリャ・デ・サンパウロ(電子版)が「試合には負けたが、礼儀正しさで高得点を挙げた」と評価したという(「朝日新聞」2014年6月18日朝刊)。

ことほどさように、サポーターによるゴミ拾いは、常に、そして、すでに、ずっと褒められてきたのである。4年に一度、世界の人たちが「驚き」「称賛」する、そんな恒例行事とさえ言えるのではないか。加えて、まさにこの記事のごとく、「なぜ日本人のゴミ拾いは世界から称賛されるのか」を日本人みずからが分析する=自己分析もまた定例のものではないか。

「偽善」との揶揄すら定番のセットに

4年前、社会学者の大澤真幸氏は、「サポーターが自発的に始めた活動も、称賛報道の逆輸入で国民の『日本すごい』渇望に見事にはまりました」と分析していた(「朝日新聞」2022年12月13日朝刊)。「日本人が他国民より優れているか」「一流国だと思うか」といったNHK放送文化研究所による質問に「はい」と答える割合が、1998年と2003年に底を打ってから、2010年代に向けて上昇する。その流れと、この「称賛報道」が軌を一にしている、と大澤氏は解釈していた。

他にも、礼儀正しさ、秩序、統制、清潔さ、マナーといった「日本すごい」に連なる要因を、誰もが、そして、いくつも列挙できる。

ただ「世界が称賛」では満ち足りず、その原因を自分たちであれこれ考察する。それだけにとどまらない。今度も「慈善活動」ならぬ「偽善活動」なのだと揶揄する声が上がっており、それをネットニュースが報じる。さらに、この私の記事の通り、一連の流れをまとめる「識者」さえあらわれる。

ここまで全て含めてセットなのではないか。そして、考えるべきなのは、「なぜ日本人のゴミ拾いは世界から称賛されるのか」ではなく、このセットが、なぜ飽きもせずに繰り返されるのか、ではないか。