旧満州から「池袋チャイナタウン」へ
中国人の分布ははっきりとしており、大都市圏、とりわけ首都圏に集中している(図表2)。改革開放当初、中国人は留学・就学ビザで来日しアルバイトをする者が多かった。そのため、中国人の居住地は大学や日本語学校の立地に制約されることとなり、それらが多い首都圏に集中することになったと考えられる。
老華僑の出身地は広東省や福建省などの華南地域が多いのに対し、新華僑は東北3省(遼寧省・吉林省・黒龍江省)の出身者が多い。東北部はかつて関東州や「満洲国」があった関係から日本語教育が盛んで、現地の日本語学校や大学で日本語を学んだ人びとが新華僑として来日するようになった。
池袋駅北口周辺には新華僑による中国人向けの店舗が多く、「池袋チャイナタウン」と呼ばれる。1980年代当時、池袋周辺は日本語学校が多く、また駅前であるためアルバイトの場所も豊富にあった。北口は東口と比べると区画整理が遅く、老朽化した家賃の安いアパートが多く存在した。そのため、早くから中国人留学生らが集まるようになった。
公営住宅が外国人ファミリーの受け皿に
日本人の好みに合わせた「町中華」と異なり、本場の味を重視する店は「ガチ中華」と呼ばれる。池袋は全国屈指の「ガチ中華」の聖地であり、中でも1999年に開かれた中華料理屋「永利」がその先駆けとされる。
「永利」の創業者はハルビン(黒龍江省)の出身で、日本敗戦後の引き揚げ時に取り残された中国残留日本人である。ガチ中華は当初「永利」のように東北料理を出す店が多かったが、近年は湖南料理や雲南料理などジャンルが多様化している。
はじめは単身でやってきた留学生のなかには、日本で結婚をして子育てをする者も多かった。のちに彼ら/彼女らは都心を離れ、郊外に住まうようになった。川口市の芝園団地はその好例であり、住民の半分以上が外国人となっている。
民間の借家では外国人の入居が拒否されることもあるため、公営住宅は外国人の受け皿となってきた。外国人が集住する背景には、そうした住宅市場上の事情もあるのだ。

