周りの人と話が合わないときは、どうするか。脳科学者の茂木健一郎さんは、「無理に世間に迎合しなくていい」という――。

結局、大ヒットを生むのは誰とも話が合わない人

世間では、「話が通じない」ことがしばしばある。会話が成立しないと、私たちはついイライラしたり、相手を非難する気持ちになる。仕事もなかなか進まないし、誤解や意思疎通不足からトラブルになることもある。

一方で、「話が通じない」場合でも、なんとかコミュニケーションをとって、仕事を進めなければいけないことも多い。インターネットの発達や、経済のグローバル化で、言葉や文化が違う相手と仕事をする機会も増えてきた。また、日本国内でも、価値観の多様化から、それぞれのエコーチェンバーを超えて交流しなければスケールの大きなことはできない時代でもある。

話が通じないというのは、つまりは相手と自分との間に共通点が少ないということである。その分苦労することになるが、逆に言えば、工夫して話が通じるようになれば、創造的なプロセスが立ち上がることも多い。

話が通じないのは、そこに「多様性」があるからである。例えば、本と言えば古典の名作だと思っている人に、マンガの面白さはなかなか伝わらないかもしれない。逆に、マンガの愛好者にずっと昔に書かれた本の価値を伝えようとしても苦労するかもしれない。

実際には、どちらも「正解」で、古典の良さ、マンガの素晴らしさはまさに「みんな違ってみんないい」。どちらもあって良い。そして、もしうまく「古典×マンガ」で話が通じたら、そこに大ヒットするような名作が生まれるかもしれない。手塚治虫の『ブッダ』や『ネオ・ファウスト』はそのような例だと言える。

立場が違うことで、なかなか話が通じないこともある。会社の上司と部下では、見えている世界や、感じているプレッシャーが違う。部下から見れば、上司が無理難題を言ってくるように思えるかもしれないけれども、上司の観点からは、部下の働きが「もっとできるのに」と、もどかしいのかもしれない。ここでも、もし「上司×部下」の響き合いが生まれれば、チームとして素晴らしい仕事ができることも多い。

一般に、話が合わないということは、確かに苦労するし、トラブルもあるけれども、うまくかけ合わせればそこに創造的な何かが生まれることも多い。話が通じないということは、「古典」と「マンガ」、「上司」と「部下」のように、それぞれ異なる要素を含んでいるということであって、うまく工夫すれば、「多様性のかけ算」を演出することもできるのである。

話が合わなくても、相手と「かけ算」ができれば創造的な何かが生まれることも多い。