差別がいけないのは当然だが、何が差別? ありがちなのは「ある集団(企業でも役職でも)にはXX人が少ない、よって差別」という論法だ。その背後には、ベース能力は万人が平等だから、分布の差は差別のせい以外にありえない、という単純な発想がある。
が、本書はそれに果敢に挑む。主張は単純。分布に偏りが出る理由なんて無数にある。だからそれだけで差別とは言えない――それを指摘し続けるのがこの本。そして本書の強みは、著者ソウェルが黒人である点だ。他人種がこんな本を書けば「黒人差別を否定とは、おまえは差別屋だ」と叩かれる。が、ソウェルにはその手が通用しない。
黒人の多い地区から店が撤退したり、高めの値づけをしたりする。活動家はそれを差別だと言う。でも実際には万引や強盗が多すぎて、商売が割に合わないか、その分を上乗せしないと採算が取れないだけだ。差別じゃない。
そして犯罪検挙者は黒人が多いが、それも警察による人種プロファイリングの差別だと言われる。だが殺人犯など偏りが出にくいものを見ても、逮捕者は実際の犯罪を反映している。偏見の影響は、あるにしてもわずかだ。
いまのアメリカでは、こういう指摘をしただけで「差別だ」と言われる。でも、事実は事実。それを直視しよう、とソウェルは述べる。
そして各地で、差別とされるものへの対応は優遇措置だ。だが、それはしばしば逆効果になる。本当に実力ある人すら勘ぐられる。そして制度の悪用も蔓延する。
さらに優遇は「生得的に劣っているから下駄がいるんだ」という偏見の温床となり、かえって差別を強めかねない。逆に優遇されるほうも依存して自助努力が衰えてしまう。
本書はこれを、様々な時代や場面で冷静に指摘する。さらに「黒人」と十把一絡げにすることで、その中の優秀な人々の努力が水泡に帰すことさえあることも示す。
ではどうしろと? ソウェルの答えは厳しい。優遇するな。平等に扱え。きちんと競争させろ。歴史は逆境をはねかえして成功した集団だらけだ。差別をふりかざし、その努力の芽を摘むことこそ有害。不公平? だが人生はそもそもフェアではない!
評者も含め、これをあまりに理想論と思う人もいるはず。ある種の差別、不当なハンデは明らかに存在するし、それを補う施策もあるべきでは? その一方で、あとづけの結果論で何でも差別のせいにするのがおかしいのもわかる。無理に頭数をあわせるだけで差別がなくなるはずもない。
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