産業革命以降の人類は、自分たちが住む環境を大きく変えてきた。それは地盤にも何らかの痕跡を留めるものなのだろうか?
こうした問いに地質学の立場から答える研究が進められている。46億年に及ぶ地球の歴史は、生物の大量絶滅によって大きく区分されている。ホモ・サピエンスが暮らす地質年代である「新生代」の後半は「第四紀」と呼ばれる。その最終時期は約1万年前に始まる「完新世」だ。
冒頭の問いに従い、人間活動が地層へ残した物質的な証拠を探す研究が始まった。折しもノーベル化学賞を受賞した大気化学者パウル・クルッツェンが産業革命以降の地球環境の悪化を憂え、「人新世」という言葉を2000年に提唱した。その後、地質年代として人新世の必要性を求める機運が高まり、23年に国際地質科学連合(IUGS)に提案されるに至った。そう、人新世という言葉はよく知られているが、科学的な定義がされていなかったのだ。
地質年代の決定には地層を世界標準の場所として設定する必要がある。その候補地として日本から名乗りを上げたのが別府湾である。本書はその地を舞台とした研究をめぐる物語である。
著者の加三千宣教授は19年より別府湾の堆積物を精査してきた。「第四紀学」分野の古海洋学研究を進める中、別府湾の堆積物がきわめて優れた地質記録媒体であることに気づく。
まず人新世のシグナルとして重視される記録はプルトニウムである。ウランなど核実験由来の放射性核種のほか、マイクロプラスチックの増加、土地利用の変化、窒素肥料使用による窒素循環の変化、重金属汚染の履歴などさまざまな痕跡が確認された。
中でもプルトニウムは化学的な特徴から安定して存在するため、地層中で変動する様子が明瞭に追跡できる。1952年から増えはじめて60年ごろのピークを境に、63年の部分的核実験禁止条約以降に激減する。まさに人間活動の痕跡を可視化した例だ。
こうして物質的根拠ともいえる多種の記録が見出されたにもかかわらず、人新世の提案はIUGSで否認された。本書はその舞台裏にも迫る。だが、科学者たちは決してあきらめていないのだ。むしろ人新世の根拠をより科学的に盤石にするため、次の研究へ挑んでいる。なぜ人新世を認識する必要があるのか、その意味をかみしめつつ今後の展開に注目したい。
著者は説く。「人新世到来という地質学的レンズを獲得した市民の力が政治を変え、社会全体の構造を変える原動力になる」(本書161ページ)。地球環境問題の本質がわかる優れた啓発書で、これまで持っていた視座が変わるに違いない。「地球と人間との関係」を正しく理解したいビジネスパーソンにぜひ薦めたい。
京都大学名誉教授・京都大学経営管理大学院客員教授
1955年生まれ。東京大学理学部地学科卒業。理学博士(東京大学)。専門は火山学、地球科学、科学教育。著書に『日本史を地学から読みなおす』(講談社現代新書)、『大人のための地学の教室』(ダイヤモンド社)など。第54回ベストドレッサー賞(学術・文化部門)受賞。
※本稿は、雑誌『プレジデント』(2026年6月12日号)の一部を再編集したものです。


