「希望を持て」「絶望を知れ」正しいのはどっちや

同じ頃、少年院のプログラムで、近所の牧師の講話を聞くことになった。もともと仲間以外の話には聞く耳を持たず、特に宗教家は毛嫌いしていたが、このときふと「一回心の中を全部空っぽにして聞いてみよう」と思い立つ。

「今まで『偽善者』という言葉で否定してきたやつを、一回全部話を聞いてその上でぐうの音も出んくらい言い返してやろうって思って。ほんまに底辺やなって思ったんです。ここから先は取れるものは全部とってやろう、という気持ちもあった」

ところが「言い負かしてやろう」と真剣に話を聞いてみると、今まで知らなかった考え方がすっと心に響いた。

他人の話を素直に聞くことは、現在の水野さんの土台になっているのかもしれない
筆者撮影
他人の話を素直に聞くことは、現在の水野さんの土台になっているのかもしれない

その日から、他人の言葉を素直に聞くことを徹底する。するとある日、退官する2人の教務官の挨拶を聞く機会が訪れた。一人目の教官は「希望を捨てずに頑張れ」と激励した。だが、二人目の教官が語った言葉は、その真逆だった。

「君たちは本当の絶望を知らない。希望を語るばかりだから失敗を繰り返す。絶望を知れ」

集会が終わって寮に戻る間、「また真逆が出た……」と思いながら、「希望」と「絶望」という言葉を反芻した。

「どっちが正しいねん……そもそも絶望ってなんや……」

「自分には何もない」と知る

国語辞典で「絶望」を調べてみると、「全てを失うこと」と書かれている。

「希望」の意味はなんとなく分かるが、「全てを失う」とは、いったいどういうことなんだろう――。

そこで、任意参加制の「内観」プログラムを受けてみることにした。「内観」とは、生まれてから今までの自分について、両親やきょうだいなどの身近な人との関係性を、1週間かけて思い出していくというもの。

取材の日、府営住宅近くの桜が満開だった
筆者撮影
取材の日、府営住宅近くの桜が満開だった

本来の内観は、思い出した内容を紙に記録して終わりだ。だが水野さんは絶望を知るために、一人ずつ身近な人との関わりを思い出しては、捨てていった。その方法は、頭の中でその人が「死んだ」ことにするというものだ。

父、母、兄、祖父母、友達、彼女。一人ずつ関わりを思い出しては頭の中で「殺し」ていくにつれ、自分はどんどん一人ぼっちになっていく。途中、「殺しすぎや」とこらえきれずに嘔吐した。

内観を通じて一人ぼっちになると、ある疑念が生まれた。実は審判のときから「将来は介護の仕事をしたい」と話していたのだが、「俺、ほんまに介護の仕事をしたいんかな」と思うようになったのだ。母親が福祉の仕事をしていて身近だったのと、印象が良いと思っただけだった。

関係性をすべて消し去っていく中で、自分の心で考えていたことがあまりにも少ないことに気がつく。「自分には何もない」ということを突きつけられた。