不良行為が一線を越えた
25日間の鑑別所生活を経て出所した後も、反省はゼロ。担当の保護司には「仕事を始めた」と嘘をつき、相変わらず悪友とシンナーを吸って、今で言う闇バイトにも手を出した。合計12回の保護司面談を終えて保護観察処分が終了すると「保護司を騙しきった」とガッツポーズさえしたという。
17歳になると、地元の先輩に「いつまで子どもの遊びをしてるんや」と勧められ、シンナーから覚醒剤へ移行する。夜になると覚醒剤を買う金を手に入れるための自販機荒らしに出かけ、昼間は薬物売人が多くいる西成地区へ通った。
「モテたい」という思いから始まったはずの不良行為は、いつしか水野さんを覚醒剤の沼に引きずりこみ、抜け出したくても抜け出せなくなっていた。
そして――。
覚醒剤取締法違反で逮捕。体調不良のまま先輩と行った自販機荒らしで、水野さんだけが逃げ遅れて窃盗容疑でつかまり、覚醒剤の使用を疑われたのだ。
ゴキブリと食事をした少年院の夜
「中等少年院送致!」
2度目の鑑別所生活を経て、そう言い渡された。「今回はしくじった」ぐらいに考えていたため、理解が追いつかずににキョトンとしていると、鑑別所の職員が「お前を少年院に送るということや」と説明した。
「えっ! 俺、少年院?」心の中でそう叫んだ。
1996年、11月7日。18歳の水野さんは兵庫県の少年院「加古川学園」に入所した。初日の夜、「キィユ、キィユ」という音で目を覚ます。見ると、特大のゴキブリが昼食のときにこぼれた汁を吸っている音だった。
「何かの間違いではないか」
「誰か助けにきてくれやしないか」
さまざまな「たられば」が頭をよぎったが、現実は何も変わらない。
「落ちるところまで落ちたな――」
スピードが求められる少年院で、着替えが遅くいつも整列に遅れた水野さんは、「自分は着替えることさえまともにできないのか」と自信を失った。さらに、少年院出所者の再犯率の高さを知り、「また罪を犯して刑務所に行くくらいなら、死んだほうがマシだ」と思い詰める。
しかしその頃、父・滋さんから一通の手紙が届く。そこには丁寧な筆致でこう書かれていた。
「そんなに自分を蔑むな。お前は今でも自慢の息子だ」
それは、少年院行きが決まった時に、父に宛てて書いた手紙の返事だった。
2度目の鑑別所生活中、開業医の父が面会に来た。もう何年も口を利いていなかった父に「もう懲りたか」と声をかけられても返す言葉がみつからず、後日、その思いを平仮名だらけの手紙にしたためたのだ。
「ぼくみたいなどうしようもない人間のために、めいわくをかけてしまってすみません。ぼくのことは、すててください」
父から返ってきた手紙を少年院で受け取って読んだ水野さんは、嗚咽をこらえきれなかった。


