社内調査委の報告書「見せていない」

当日夕方の『ニュースの森』では、杉尾秀哉キャスター(当時)が「事実無根」と否定してみせたが、否定の根拠は確固たるものではなかった。否定を主導した当時のTBS幹部の名は敢えてここでは記さない。

その後、社内に社員をメンバーとした「調査委員会」が設置されて内部調査が実施されたのだが、身内による調査の限界がもろに露呈した結果となった。翌1996年3月11日に、社内調査委員会の調査結果報告書が公表された。結論は「VTRをみせたことにつながる記憶や事実関係はどうしても出てこなかった」というものだった。

社内調査の結果は、社外からの批判や疑問に耐え得るような内容を含んでおらず、残念ながら説得力を欠いたものだったと言わざるを得ない。だが、これとて今だからそう言えるのであって、僕自身も含めて、社内調査発表後の『23』では、会社の発表内容をそれなりに時間を割いて放送していたのである。

ただ、筑紫さんはこの調査結果にかなりの留保を示す姿勢だった。

この番組を私が引き受けましてから、局の見解と私の意見が異なるということは、これが初めてではありません。しかし、坂本事件とTBSとの関わり、(中略)その後に起きたことの重大性からみて、端的に言いまして、私は、メディアとしてのTBSの道義責任、あるいは結果責任というのは免れないだろうと個人的には思います。(中略)これで調査打ち切りなどと言わず、こういうものをどう克服するかを、これを機会に、局として考えるべきだと思います。
――1996年3月12日の「多事争論」

筑紫哲也が望んだ「継続審議」は実現せず

筑紫さんの著書『ニュースキャスター』(集英社新書 2002年)によれば、この調査結果が出る前に、筑紫さんは藤原わたる報道局長(当時。2018年4月死去)に「3項目メモ」なるものを手渡していたという。

僕自身はそのメモの存在を知らなかった。「継続審議」「第三者調査委員会」「責任の明確化」の3本からなるメモだったというが、社内調査の結果発表翌日のTBSの記者会見では「調査はこれで打ち切る」との発言が出た。結果的に筑紫メモの趣旨は退けられることになった。

この間の経緯や自分なりの省察については、2001年5月に発刊された、ひとりのジャーナリスト=故・斎藤茂男氏への追悼論文集『斎藤茂男 ジャーナリズムの可能性』(共同通信社)所収「オウム・坂本弁護士ビデオ事件で僕らが失ったもの」という文章に記したことがあるのでそちらを参照されたい。そこに記した覚悟は今に至るまで変わっていないことだけを確認しておく。本論に進む。