1995年9月、沖縄で米兵3人が女子小学生を暴行する事件が起きた。沖縄での反基地運動が高まるきっかけとなったが、全国ニュースになるまでには「時差」があったという。報道番組『NEWS23』の編集長を務めた金平茂紀さんの著書『筑紫哲也「NEWS23」とその時代』(朝日文庫)より、一部を紹介する――。
筑紫哲也が怒りに燃えた瞬間
当時、沖縄は燃えていた。これから記す米兵による沖縄少女暴行事件(1995年9月4日発生)後、反基地の島ぐるみ闘争が燃えさかっていたのだ。そしてこれに関連して、『筑紫23』の積み重ねのなかで、普段は温厚な筑紫さんが烈火のごとく怒りをあらわにしたレアケースがあったのだ。
1995年9月11日のオンエア本番前、だから夜の10時過ぎのことだった。通常、『筑紫23』では、報道局の大部屋のセンターテーブルにキャスターたちが陣取って、原稿のチェックと特集のプレビューなどを行う。
そういう時は大体、机の脇に2台置かれていたテレビモニターのひとつは『ニュースステーション』(以下NSと記す)にチャンネルがあわせられていた。久米宏さんがキャスターをつとめていたNSは、さまざまな意味で僕ら『筑紫23』のライバル番組だった。
その日のNSのトップニュースこそが、沖縄の米兵による少女暴行事件だったのだ。僕らの局は夕方までのニュースで全く扱っていなかったばかりか、地元局のRBCからのネタ申告さえなかった。筑紫さんは声を荒らげた。
「おい、こんな大事なニュース、どうして僕らはやってないんだ? 一体どうなってるんだ?」

