地元紙の小さな記事を見逃さなかった
NSは9月8日にいち早く全国ネットのニュースとしてこの出来事を報じていた。なぜか。それは次のような事情による。
テレビ朝日系列の地元局QAB(琉球朝日放送)は、この事件当時、翌月に開局・放送開始を控えて最後の準備段階に入っていた。そのいわば「助走」作業として、テレ朝は那覇臨時支局をおいて、ネタ申告を毎日のルーティーンとして東京のデスクあてに送らせていた。
当時のNSの統括デスクは、川村晃司氏(執筆当時はテレビ朝日コメンテーター〈2023年3月死去〉)だったが、氏は那覇から送られてきたネタ申告のなかに地元紙の小さな記事(おそらく琉球新報の第一報)が添付されていたのを見逃さなかった。
「東京からみるとこれは大変なことだと思ったので、直ちに取材にかかるように沖縄に指示を出しました」(川村氏)
「こういうのは沖縄ではよくあること」
氏によれば、沖縄からの反応は当初必ずしも積極的に報道しようという姿勢ではなかったという。
「あんまり関わりたくない。こういうのは沖縄ではよくあることなんですよ、と乗り気ではなかったですね」
それでも川村氏は地元紙の小さな記事にこだわった。結果、9月11日には、トップニュースで大展開した。それを僕ら『筑紫23』は放送直前に目の当たりにしたのである。沖縄への想いの深い筑紫さんにとっては、心穏やかではなかったのは想像に難くない。
だが、それにしても沖縄の地元紙を含めた第一報の「時差」は腑に落ちない点が残る。
当時、一体何があったのか? この間の事情をある人物が証言してくれた。大田昌秀知事の下で副知事を4年にわたって(1993〜97年)つとめた吉元政矩氏(2025年1月死去)だ。こういう事情をメディアの人間に話すのは初めてだという。

