当時の局内は「人心荒廃の地獄」

これが後日、局内外で「TBSは死んだ」発言として論議を呼ぶことになった発言の全文だ。途中、筑紫さんは何回か言いよどんでいた。ここで明かされている通り、筑紫さんはこの日をもって『23』降板をいったん決意した。房子夫人が明かす。

「もうTBSの報道はやれなくなるんじゃないかという気持ちがあったので、パパも今日で辞めるしかないと思った」

この当時、局内はほとんど極限と言っていいほどの混乱状態にあった。筑紫さんも一言だけ前記の本に書いている。「修羅場に遭遇して起きる人心荒廃の地獄も見てしまった」。

当時つけていた自分の日記を見返すと、そのような地獄の実例がいくつか列記されていた。僕がTBSの見解が覆ったと知ったのは、3月23日のことだった。当時は社内で、密告や中傷、職場内の衝突が頻発していて、筑紫さんは心因性の咽喉障害で一時声が出なくなってしまった。

『NEWS23』の最も長い一日

3月25日の日記。僕は朝5時に起床して、午前6時半には局にいた。『23』の最も長い一日の始まりだった。筑紫さんと連絡をとると、午後に部会を招集してスタッフと話がしたいという。筑紫さんが局に着いたのは午後4時。日記の記載では〈僕が辞めた場合のプラスマイナスを判断して欲しいと(筑紫さんが)言う〉とあった。

〈部員は全員が慰留に動いたが、自分たちにどれだけ引き止める資格があるというのか。(中略)もう自分たちには失うものは何もない。ここから信頼回復の道を探らずにどうするというのか。ある意味で辞めたりするのは卑怯な道だ……〉(日記より)

会議は13階の筑紫さんの仕事部屋で行われた。僕自身は会議での発言を詳細にはもう覚えていないのだ。当時のプロデューサーやデスク、ディレクターら十数人が参加して意見を述べ合っていたはずだ。

冒頭、筑紫さんから今日で辞めたいとの発言があったことだけは何となく記憶しているのだが、それに対して「それでは逃げたことになる」「責任をとるとは本当は辞めることではない」などの発言があったのではないか。