統一感のなさは「課題」ではなく「自分の種」
② 欠損と考える
ユニークな特徴を欠損や欠点だと考えてしまう、というケースもよくはまりがちな罠です。
たとえば以前、唐津市の市職員や住民のみなさんのまちづくりワークショップをした際にこんなことがありました。
唐津市というのは面白い街で、縄文時代の遺跡から豊臣秀吉が朝鮮出兵したときの城跡・唐津城、明治時代の西洋建築の重要文化財など、街の中に「さまざまな時代」が混在しています。
ワークショップではまず、「他になくて自分にあるもの」という質問をします。
そこで出てきた答えは「歴史ある街」というものでした。
次に、「他にあって自分にないもの」という逆の質問をします。ここで「統一感がない」という意見が出てきました。唐津市の歴史は時代がバラバラで、「京都のような統一感がないのが課題。街に統一感が出るように市をあげて取り組んでいる」と。
これを「直すべき課題」と捉えるか「自分」らしい特徴と捉えるかによってまったく方向性が変わってきます。「欠損」とははたしてなにに対しての欠損でしょう? 「あるべき形」を前提してしまっているから欠損に思えるのです。
「あるべき形」は「当たり前」や「常識」、社会通念的な軸であり、そちらに向かうと他と「おなじ」に向かってしまいます。「ちがいが価値」の「アート」パラダイムではむしろ、「時代がバラバラ」というのは直すべき課題ではなくユニークな「自分」の種となります。
「いいもの」は既存の価値にロックされる
「歴史ある街」という一般的な軸では、京都が圧倒的ナンバー1でさらにその下には小京都がたくさん並んでいます。この軸で唐津市に興味をもってもらうのはなかなか難しいかもしれません。
しかし一見欠点にみえてしまう「バラバラ」のほうを新しい軸としてとると、「バラバラ」というユニークな軸で唐津が一番になれる可能性もあります。
「自分」探し、とはこのように「自分」本来の軸をみつけることなのです。
面接などでよく「あなたの強みはなんですか?」と聞かれたりしますが、僕は「強み」という言葉を極力使いません。「強み」や「長所」というと、一般的にあるべきとされる基準を暗黙のうちに前提にしてしまうからです。
そもそもある特徴を「強み」とみるか、「弱み」とみるかは視点によります。「フォーヴィズム」などの時代を変えたアートも過去の価値軸からは理解されず、欠点として酷評されました。
「いいもの」を考えるとその途端「既存の価値観」にロックされてしまいます。一見ネガティブに感じることにこそ「ちがい」の種が埋まっています。
③ 当たり前だと思う
最後の罠は、当たり前だと思う、です。ものすごく変わった人が自分はいたって平凡、と信じ切っていることがありますが、「自分」の「自らの本来的なつとめや性質」は本来的すぎて、自分には当たり前で気づかない、ということがよく起こります。こういう「自分」に気づくには外からの刺激(=触発)が必要です。

