「戦国最悪のろくでもない男」は本当か

久秀の首も平蜘蛛も、火薬で砕け散ったと記されているのは、元和年間(1615~24)に成立した『老人雑話』で、この話が茶の湯に命をかけた逸話として、享和4年(1804)に刊行された『茶窓聞話』に再掲された。

また、その後に流行した浮世絵では、平蜘蛛を打ち割って切腹する久秀の姿が描かれるようになった。こうした「伝説」の延長として、久秀が自分自身を平蜘蛛とともに火薬で吹き飛ばしたという俗説が生まれたが、それが広まったのは、どうやら第二次大戦後のことのようだ。

松永久秀のイメージは、平蜘蛛を除けば、「戦国最悪のろくでもない人物」というものだろう。たとえば、『信長公記』の作者である太田牛一の『太かうさまくんきのうち(太閤様軍記の内)』には、13代将軍足利義輝を討ち、主君の三好長慶をそそのかして、その弟の安宅冬康を殺させ、その息子の義興を毒殺。信長の家臣になるも背き、東大寺大仏殿を焼いた報いによって焼死した――。おおむねそう書かれている。