秀吉が羽柴を名乗ったのは小谷城落城前
浅井久政(榎木孝明)と長政(中島歩)が腹を切り、小谷城(滋賀県長浜市)が落城したことで、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で描かれる藤吉郎(池松壮亮)と小一郎(仲野大賀)の兄弟は、織田家家臣としてのフェーズが変わった。
第18回のサブタイトルは「羽柴兄弟!」(5月10日放送)で、藤吉郎はここから木下秀吉あらため羽柴秀吉になる。織田家を代表する重臣、丹羽長秀と柴田勝家から1字ずつもらって「羽柴」と名乗ったという通説は、おそらく史実だろう。加えて、浅井家が治めていた北近江(滋賀県北部)の3郡、12万石もの領地をあたえられ、一国一城の主となった。
時系列を記すと、羽柴と名乗ったのは天正元年(1573)7月20日。その後、8月29日から9月1日にかけて小谷城が落城した。こうして浅井氏が滅亡したのち、その旧領をあたえられたのだ。
秀吉は浅井家との攻防戦にずっと従事したのち、8月29日夜半に約3000の兵を率いて、小谷城の山麓居館があった清水谷の水の手口から、山上の京極丸に一気に攻め入り、城を久政がいるエリアと長政がいるエリアに分断。双方の連絡を不能にしたうえで、まず久政、続いて長政を切腹に追い込んだ。
この功績を織田信長が非常に高く評価した結果、一躍、城持ち大名に躍り出たのである。
出世した男が抱えていた問題
北近江をあたえられた秀吉は、本拠を小谷城から、琵琶湖沿岸の長浜(当時は今浜と呼ばれた)に移すことを決断。琵琶湖に突き出し、湖水を水堀に引いた城をあらたに築いて、長浜城と名づけた。不便な山城はやめて、水上および陸上交通の要所で、城下町を展開しやすい湖畔の平地を本拠地に選んだのである。
とはいえ、築城には時間がかかるので、それまでは小谷城を使ったようだ。小谷城が廃城になったのは、天正3年(1575)ごろと思われる。
秀吉にとって問題だったのは、なにしろ百姓の出身で、短期間に異例の出世を遂げた身なので、譜代の家臣がいないことだった。そこで出身地の尾張(愛知県西部)から、遠縁にあたる加藤清正や福島正則らが長浜に呼び寄せられ、将来の幹部候補として、妻の寧々も世話をしつつ育て上げられた。
また、長浜には石田三成がいた。秀吉と三成が出会った際のエピソードに「三献の茶」がある。秀吉が鷹狩の帰りに観音寺(米原市)に寄ると、寺の小姓だった三成(当時は幼名の佐吉と呼ばれていた)が、1杯目には喉の渇きを癒すために、大きな茶碗にぬるい茶を、2杯目はやや熱い茶を半分程度、3杯目は厚くて濃い茶を小さな茶碗で出した。秀吉は細かい気づかいに感激し、佐吉を小姓として召し抱えたという。

