戦国大名の松永久秀はどんな武将だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「秀吉と同じく百姓の生まれながら、将軍と同格の身分にまで大出世した。さまざまな悪い噂があるが、近年の研究で覆されている」という――。

秀吉の窮地を救った「松永久秀の謀反」

柴田勝家(山口馬木也)が総大将を務める軍勢に参加しながら、作戦をめぐって勝家と対立すると、羽柴秀吉(池松壮亮)は、織田信長(小栗旬)の許可がないまま勝手に退却してしまった。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第19回「過去からの刺客」(5月17日放送)。

これに信長が激怒し、秀吉に死罪を宣告する。だが、いくら信長が苛烈な性格だったとしても、北近江(滋賀県北部)の統治をまかせたいまや重臣の秀吉に、簡単に死罪など言い渡すはずもない。太田牛一の『信長公記』にも〈羽柴秀吉は柴田勝家と意見が合わず、許可も得ずに陣を解いて、引き揚げてしまった。信長は、けしからぬことと激怒した。秀吉は進退に窮した〉(中川太古訳、以下同)と書かれているだけである。

だが、ともかく、「豊臣兄弟!」では信長の怒りはまったく収まらず、第20回「本物の平蜘蛛」(5月24日放送)では、秀吉の命はまさに風前の灯火になってしまう。

これは天正5年(1577)8月のできごとだが、同じ月にある武将が信長に謀反を企て、結果として秀吉が許されたという点は、史実との整合性がとれている。

唯一無二の名器「平蜘蛛」

信長に背いた武将とは、そのとき石山本願寺に対峙して築かれた天王寺の砦に、信長の命で城番として入っていた松永久秀(竹中直人)と久通の父子だった。第19回では、秀吉と弟の小一郎(仲野太賀)は、まさに自分の命を賭けて久秀との交渉に挑む。そして、兄弟が信長からの条件として突きつけたのは、「平蜘蛛を差し出せば、謀反は不問に付す」というものだった。

「平蜘蛛」とは、久秀が所有していた茶釜「古天明平蜘蛛」のことで、その名は這いつくばって歩く体長8~10ミリ程度の平たい「ヒラタクモ」に由来するという。要は、かなり平たい形をしていたらしい。この茶釜は、信長が所望しながら手に入れられなかったことでその名がよく知られ、さまざまな伝説が生まれている。

結論を先にいえば、久秀が滅ぼされた際に平蜘蛛も失われたとされるが(『山上宗二記』)、砕けた破片を継いで再生された平蜘蛛が、天正8年(1580)閏3月13日の茶会で使われた、という記録もあるという(『天王寺屋津田宗及茶湯日記他会記』)。

「芳年武者无類」平蜘蛛を割る松永久秀。月岡芳年画
「芳年武者无類」平蜘蛛を割る松永久秀。月岡芳年画(写真=ブレイズマン/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

さて、久秀の名は平蜘蛛の伝説とともにあるが、久秀という武将のスゴさや魅力は、平蜘蛛と切り離してこそ見えてくる。だが、それは追って述べるとして、最初に平蜘蛛伝説について簡単に触れておきたい。