東日本大震災と原子力発電所事故から15年が経過した。7市町村にまたがる帰還困難区域は、今も居住が制限されたままである。牧野京夫復興相は報道陣の共同インタビューで「希望する人が一刻も早く帰還できるよう全力で取り組む」と話したが、「一刻」は分や時間単位で時を争う場面で使う表現だ。地震発生から5500日が経過した今、大臣の言葉は空しく響く。
私は細野豪志原発事故担当相(当時)から頼まれて原発事故を検証した。東京電力や東芝、日立製作所から精鋭を派遣してもらって検証チームをつくり、半年かけて約280ページの報告書を作成。再発防止策も含めていくつかの提言をした。しかし、その多くは実行されないままうやむやになっている。当時の関係者の多くは第一線を退いた。事故直後、メルトスルー(核燃料が容器外に流出する事態)を指摘した私を呼び出して説明させた菅直人総理(当時)や、提言の実現に動いてくれた自民党の大島理森衆議院議員(当時)は、すでに政界から引退した。
官僚も顔触れが変わった。経産省出身で、細野原発事故担当相の秘書官を務めていた小澤典明氏は、役人の中では原発にもっとも詳しい一人だった。経産省に戻った後、2022年に資源エネルギー庁次長になり、「また原子力の担当になりました」と挨拶に来たが、1年後には退官している。
民間も同様で、検証チームに集まってくれた各社のメンバーも多くは定年を迎えた。もはや日本の中枢に原発事故の教訓を伝える語り部はいない。残った私があらためて大事なことを伝えておかねばならないだろう。
デブリは推定880トン 除去できたのは0.9グラム
原発事故から学ぶべき最大の教訓は、何よりもウソをつかないことである。
私はマサチューセッツ工科大学(MIT)を修了した後、日立で原発の設計者をしていた。地元住民の説明会で驚いたのは、電力会社がつくウソだった。
原発にかぎらず事故は確率論であり、「絶対」はありえない。万が一を想定して、可能なかぎり備えるのがエンジニアの仕事である。しかし、説明会で「万が一に備えて避難訓練を」と言えば住民から突き上げを食らう。欧米では「安全です。but、事故が起きた場合は」と言えば確率論として聞いてもらえるが、日本は言霊信仰があって、「安全です。しかし事故が起きた場合は」と説明すると、逆に「事故の可能性を口にしたのは安全ではない証拠」とウソつき呼ばわりされてしまう。
住民にウソつきだと思われると設置を認めてもらえない。そこで電力会社は真実を話さずに「絶対に安全」とウソをつく。なんとも歪な構造だった。人や組織は一度でもウソをつくとそれにとらわれていく。住民にウソの説明を続けるうち内部でも自分たちのついたウソを受け入れ、現実から目を背けて思考停止するようになるのだ。
事故後、細野原発事故担当相に呼ばれて霞が関にいくと、原子力安全委員会委員長の部屋があった。委員長は安全だと判断して許可を出した組織のトップであり、自らの過ちを認めたくなかったのだろう。扉は固く閉ざされ、「面会謝絶」とドアには書かれており引きこもり状態だった。対策を立てなければいけない立場の人間がこれでは、まともに事故対応ができるはずがない。
検証チームでも、東京電力社員は最後までメルトスルーを認めなかった。東電にはのちに福島第一原発の所長になる優秀な人もいた。報告書をまとめた後、私が「あなたとはあらゆることで見解が一致したが、メルトスルーだけは一致しなかったね」と話すと、彼は「申し訳ありません」と頭を下げた。優秀な人だから何が起きたかわかっていたに違いないが、組織人として現実を認めるわけにはいかなかったのだ。
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