立野からの出陣

車に乗せてくれたのは、地元の川漁業協同組合に勤める菅野かんの富美恵ふみえさん。潤一さんとは中学の同級生だという。

「ここでは、梅雨明けがだいたい野馬追と重なるの。野馬追で、夏が始まると実感するわ」

明るくフレンドリーな雰囲気で、ハキハキ話す菅野さん。野馬追に関わるのは今回が3回目で、「全然詳しくない」と謙遜する。これから浪江町内の立野たつのという地区に戻る。彼らは立野の「平本ひらもと家」の一員で、今年は「平本家」から6騎が出た。今日出陣した馬のほとんどは、震災で那須に避難した廐舎から借りうけているという。

よろいは重いし、馬が旗を怖がったりするから、通常なら早いうちから馬を借りて慣れさせる。去年は祭りが出せなかったから、今年ははりきって早くから準備していた人が多いの。だから急に雲雀ヶ原ひばりがはらの行事の中止が決まって、みんな本当に落胆している。馬を出す廐舎にとっても、野馬追をやらないと大打撃なの」

アスファルトの道路を騎馬武者が練り歩く。
撮影=星野博美
アスファルトの道路を騎馬武者が練り歩く。

ちょうど車が県立浪江高校の前を通りがかった。震災後、県内のさまざまな高校と提携してサテライト方式で運営を続けていたが、2017年3月末をもって休校となった。

「子どものいる人が浪江に帰ってこないからね。帰ってこないから、学校が開けない。学校がないから、帰ってこられない。仕方がない」

9割以上の町民が戻っていない現実

浪江町で、帰還困難区域を除いて避難指示が解除されたのは2017年3月31日のこと。菅野さんは、解除されるとただちに避難先から浪江町に戻ってきた。震災前は人口が約2万1000人だった浪江町の現居住人数は約1700人。避難指示が解除されたものの、9割以上の町民が戻っていないのが現実だ。

「私は勤め先が浪江町にあるし、親も勤め人だった。ここで育ったから戻ってきただけ。別にたいした理由はないの。浪江に戻る、戻らないは、本当に個人の問題。軽々しく聞けないし、ましてや誰も人の選択に意見はできないの」

車を走らせている途中、鮮やかな水色の陣羽織をまとった騎馬武者が乗りこんできた。立野から出陣した「平本家」の当主、平本ひらもと佳司けいじさんだ。この人が潤一さんの言っていた「親方」か……。肩証によれば、「勘定奉行」という役職に就いているらしい。にわかに緊張して、しどろもどろになりながら、自分の素姓を明かした。平本さんは見ず知らずの人間が同乗していることに少しギョッとしつつも、不快感は示さず、「なんか物足りないね。全然物足りん」と言いながら羽織を脱ぎ始めた。

車は浪江の中心部から、山道というほどではないが、緩い傾斜がだらだらと続く坂道を北西の方向に向かって登っていった。先に公園を出発した6騎に、ようやく車が追いついた。騎馬が先に出発したとはいえ、馬の常歩なみあしがけっこう速いことにあらためて驚く。6騎は連なって、立派な門構えの家の敷地に入っていった。