毎年10万人もの人が集まる祭事「相馬野馬追そうまのまおい」。1000年以上前に、相馬氏の遠い祖先と言われる平将門が下総国小金ヶ原(現在の千葉県北西部)で野生の馬を放し、軍事教練として始まったとされる。その後、相馬氏が陸奥国行方郡(現在の南相馬市、相馬郡飯舘村)に移ってからも伝承された祭事だ。東日本大震災で津波と原発被害を受けたときも、大幅に縮小しながらも開催されたことで話題を呼んだ。

甲冑、陣羽織の武者が騎馬で行列をし、疑似合戦を行い、凱旋行列を行う。毎年7月最終週の土・日・月に開催され、多くの観光客が訪れていたが、地球温暖化の影響で、2024年からは5月の最終週の土・日・月に行われている。ノンフィクション作家の星野博美さんが初めて見に行ったのは、2021年7月だった。

新型コロナウイルスの第5波が襲来中で、祭りの目玉である合戦系の行事も大幅に縮小して行われたが、日本全国で祭りや行事が軒並み中止となっていた時期で、野馬追も中止になってもやむをえない状況下、それでも「どんな形でも、野馬追を開催するのだ」という強い意志が感じられた。

星野さんが向かったのは居住人口が約1700人(当時)の浪江町。まだ9割の住民が戻ってこられないでいた。祭りのために、この日だけ浪江町に戻ってくる参加者もいた。浪江町で出会った人々の野馬追の伝統を守ろうとする姿や思いとは――。

※本稿は、星野博美『野馬追で会いましょう 相馬の馬文化と震災後の日常』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

凜とした女の子

祭りの喧騒から距離をおき、馬の安全を第一に考慮する女性武者に興味が湧き、式典が終わると同時に声をかけた。

南相馬市内の高校に通う今野こんの愛菜あいなさん。引き手として参加したことはあるが、乗り手として参加するのは今回が初めて。馬は那須なすの廐舎から借りた6歳の牝馬ひんばだという。

「この子には3回しか乗ったことないんですけど、昨日はいっぱい乗って練習しました」

愛菜さんは愛想笑いをしない。かといって堅苦しいわけではなく、自分を飾らず、淡々と、必要な言葉だけをつむぐ。芯が通った人、という印象だ。

南相馬市内の高校に通う今野愛菜さん(当時)
撮影=星野博美
南相馬市内の高校に通う今野愛菜さん(当時)。その凛としたたたずまいに惹かれた。

相馬野馬追は、二十歳はたち未満で未婚であれば女性も参加が可能である(*)。近々に結婚する予定がなければ、高校2年生である愛菜さんはあと2回か3回参加できる計算になる。

馬丁を務めていたのは、父親の今野こんの潤一じゅんいちさんだ。若い頃は野馬追に出ていたが、17年前、30代半ばで結婚を機にやめたため、愛菜さんは自分の騎馬武者姿を見たことがないという。

「それでも娘が馬好きになってくれて、継いでくれたのは嬉しいな」

娘が野馬追デビューを果たしたことが心底嬉しいらしく、頰がゆるみっぱなしの潤一さん。愛菜さんのクールでまっすぐな感じを仮に「剛」としたら、感情を前面に出す潤一さんは「柔」という印象だ。

* 2015年から、「二十歳未満の未婚」とする女性の出場条件が撤廃された。

馬に乗ったまま集落に帰る

公園の端で立ち話をしていると、騎馬武者たちが続々と帰り支度を始め、慌ただしくなった。

「このあとはどうなるんですか?」

野馬追素人の私が尋ねると、「今年はもうこれで終わり。みんなそれぞれ、自分たちの集落に帰るんだ」と、潤一さんは嫌がりもせず親切に教えてくれた。

「馬に乗ったまま?」
「馬に乗ったまま。村の寄り合いみたいなところから一緒に出てきたから、そこまで一緒に帰るんだ。俺は馬がないから、自転車で追いかけるけど」

騎馬が登場するのは、今年はこれで本当にもう終わりなのか。私も残念だが、参加者は言葉にならないくらい残念だろう。名残惜しげに立ちすくんでいると、その気持ちを察したのか、潤一さんが言った。

「一緒に来る?」
「いいんですか‼ ありがとうございます。走ってついて行きます!」

潤一さんは、ゲラゲラ笑った。

「人間の足じゃ無理だよ。馬で帰る距離なんだから。坂きついし、自転車でだって相当きつかった。ちょっと親方に聞いてくるから、待っとって」

そして誰かに話をつけ、同じ集落から手伝いにきた女性のワゴン車に乗せてくれることになった。いきなり東京から来た見ず知らずの人間が押しかけて迷惑かとは思ったが、こういう機会はめったにあるものではないので、迷惑承知で乗せていただくことにした。