時代劇に登場するサムライは、颯爽とサラブレッドにまたがる。しかし史実のサムライが乗っていたのは、ポニーくらいの小さな在来馬だった。では、なぜ日本固有の馬は消えてしまったのか。ノンフィクション作家の星野博美さんは、相馬野馬追の取材を通じてその歴史に向き合った。「猛獣」と欧米に嘲笑され、国家主導で駆逐されていった日本の馬の悲劇とは――。

※本稿は、星野博美『野馬追で会いましょう 相馬の馬文化と震災後の日常』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

相馬野馬追のすべてがわかる場所

南相馬に来たらぜひ訪れたい場所があった。甲冑かっちゅう競馬と神旗しんき争奪戦が行われる雲雀ヶ原ひばりがはら祭場地の上側に位置する、南相馬市博物館である。ここに行けば、相馬野馬追そうまのまおいのすべてがわかる、という触れこみの博物館だ。もっと早くに来たかったが、コロナウイルスの感染拡大の影響で野馬追の時期は閉館していた。

南相馬市博物館では、野馬追に関する展示だけではなく、南相馬の自然や歴史、民俗文化の常設展示を行っている。訪れた日、外は土砂降りで、見学者は数えるほどしかいなかったため、ゆっくり見て回ることができた。

博物館の中には、神旗争奪戦の騎馬のほぼ等身大のレプリカが三体飾られている。武者が左手で手綱を引きながら、右手に持ったむちで御神旗を奪いあう、迫力のあるレプリカだ。その大きさからして馬は、明らかにサラブレッドがモデルと思われる。

私が見た3カ月前の野馬追でも、登場した馬の大半が元競走馬のサラブレッドだった。

甲冑をまとって洋種馬に乗るのは、歴史的観点に立てば、実はかなり不自然なことといえる。

野馬追の二日目に行われる「神旗争奪戦」を再現した、南相馬博物館のジオラマ
撮影=星野博美
野馬追の二日目に行われる「神旗争奪戦」を再現した、南相馬博物館のジオラマ。騎馬武者はサラブレッドにまたがっている。

日本の在来馬は絶滅の危機に瀕している

古来、日本に生息していたのは、海外の品種と交雑することなく残ってきた日本在来馬だった。とはいえ、古代に大陸から渡ってきたので、厳密に言えば大陸出身馬である。粗食に耐え、頑健で比較的温厚な、小型の馬だ。体高はほぼポニーで、およそ100から140センチくらいの小ささ。ちなみに、サラブレッドの平均体高は160から162センチである。

日本在来馬は絶滅の危機に瀕している。現存するのは、北海道和種(道産子どさんことも呼ぶ、北海道)、木曽馬きそうま(長野)、野間馬のまうま(愛媛)、対州馬たいしゅうば(長崎)、御崎馬みさきうま(宮崎)、トカラうま(鹿児島)、宮古馬みやこうま(沖縄)、与那国馬よなぐにうま(沖縄)の、わずかに8種類のみ。このうち、最も数が多いのが北海道和種で、関係者たちのたゆまぬ努力により、少し安定し始めているのが木曽馬と与那国馬である。

南部馬なんぶうま(岩手)、三春駒みはるこま(福島)、甲斐駒かいこま(山梨)、三河馬さんかば(愛知)、能登馬のとうま(石川)、土佐馬とさうま(高知)、日向馬ひゅうがうま(宮崎)、薩摩馬さつまうま(鹿児島)、ウシウマ(種子島たねがしま)などの純血種は、すでに絶滅してしまった(*1)

*1 公益社団法人日本馬路協会の統計(令和5年)によると、日本在来馬の総数は1707頭。北海道和種が1143頭で全体の約3分の2を占め、木曽馬の128頭、与那国馬の110頭と続く。