大砲に度肝を抜かれた和種馬
こうして日本のサムライがのんびりしている間に、海外では轟音を発する銃や大砲を用いた戦い方が主流となった。和種馬は度肝を抜かれ、心底脅えたことだろう。
欧米に対して劣等感と、征服される恐怖心を抱き、追いつき追い越せだった明治の日本人は、和種馬にも自らの劣等感を重ね合わせたといえる。
プライドをいたく傷つけられた日本陸軍は、国を挙げて馬匹改良に着手した。明治34年(1910年)に「馬匹去勢法」を発布して去勢術を普及させるとともに、軍馬の改良と増殖のため、洋種馬の血を入れ、馬を速く、大きく改造する方向に舵を切った。馬事振興のため、おおいに活用されたのが競馬である。競馬がことのほか好きだった明治天皇の存在も振興に一役買った。
こうして和種馬は、日本から姿を消していった。日本の馬は、戦争を理由に、国家主導で可及的速やかに駆逐されたのである。
野馬追にサラブレッドが出場する現実
私がこれまで訪れたモンゴルでもスペインでもトルコでも、人々はその土地の馬を愛し、誇りにしていた。人々の生活に密着し、人とともに生きてきた馬は、その土地の歴史を背負った文化でもある。
モンゴルで国民的祭典「ナーダム」の際に子どもたちがまたがっていた馬は、チンギス・ハーンの時代から、サイズも風貌もさほど変わっていないだろう。スペインが誇る馬、アンダルシアンは、元をたどればイスラーム・スペイン時代に北アフリカのバルブ種の血が入った馬だが、ナポレオン率いるフランス軍に侵攻された際は、修道士たちによってひそかに匿われ、純血を保った。カッパドキアの馬は、かつてアナトリア半島を行きかったアラブ馬とアナトリア馬の混血だった。混血、純血にかかわらず、いずれも人々の暮らしや土地の歴史を感じさせた。
そんなことを思い出すと、日本固有の馬が、戦争を理由にほぼ駆逐されてしまったことが悲しくなる。野馬追のお行列を眺めていた時も、「本来ここにいるべきは和種の馬だったのに」という思いがどうしても拭えなかった。
しかし裏を返せば、在来馬を駆逐してしまったことが日本の歴史なのであり、ここに稀少な在来馬が出ることのほうが、現状を無視した絵空事となってしまう。野馬追にサラブレッドが出場するのは、日本の現実として正しいことなのかもしれない。



