「楠」一字から『太平記』の構想を読み取る
また、そもそも、霊夢の話自体が虚構であり、先述したように、後醍醐天皇と楠木正成の関係それ自体は当該場面(元弘元年〈1331〉8月、後醍醐天皇の笠置動座)以前から看取され、元弘元年春に河内国は動乱(「元弘元年春のとうらん」)となっています(「観心寺文書」)。これも同時期頃の楠木正成による和泉国への侵入との関連性が想定されています(堀内:2010年)。
つまり、現実には後醍醐天皇と楠木正成は元弘元年春頃から知り合っていたようですが、『太平記』はそれをあえて同年8月の笠置での出来事(しかも霊夢によるもの)とすることで、楠木正成の登場を劇的に描いているわけです。
堀内和明さんもまた、「天皇と正成の接点を神秘的に描こうとする『太平記』の作為」であり、「『太平記』の創作」であろうと喝破していました。
さらに、今井さんは、現実には「楠木」・「楠」いずれの表記も見えるなかで、『太平記』が「楠」の文字を前面に打ち出している点も、「木に南と書たるは楠と云ふ字なり」と後醍醐天皇が夢解きしたためと指摘しています。
そして、「「楠」には、霊夢により物語世界に登場した正成の特異性が刻印されている」として、僅か一字から『太平記』の構想を読み取り、わたしたちに注意を促しています。


