ホワイトハウス・主任スピーチライター ジョン・ファブロー
1981年、マサチューセッツ州生まれ。ホーリークロス大学では政治学とクラシックピアノを学びつつ民主党の学生組織で活動、地域社会活動や大学新聞の編集などに携わる。09年1月より現職。独身。


 

「ちょっと待ってください。その部分は重複していますよ」。2004年7月、民主党大会での基調演説のリハーサルをしていた上院議員候補のオバマ氏に声をかけた。当時はジョン・ケリー大統領候補の選挙運動に携わっていた23歳の若造にすぎなかったが、その指摘をオバマ氏は認めた。オバマ氏はこの基調演説で一躍注目を浴びるが、このときからオバマ氏の演説にささやかながら関わっていたことになる。

東部の名門私立ホーリークロス大学を首席で卒業後、ケリー大統領候補の選挙運動に加わった。卒業生総代として行った演説など文章力は抜群で演説草稿づくりなどを担当。だがケリー氏は落選。陰口や中傷を経験し政治に幻滅、脚本家を目指していた。

そんな折、上院議員となったオバマ氏からスピーチライターの話を打診された。自分の人生を織り込んで語りかけるオバマ氏の演説には感心しており、再び政治の世界へ。もともと上手いオバマ氏の演説は、短い文章やわかりやすい語彙の使用などでさらに磨きがかけられた。個人の話を政治や歴史の文脈の中に置いて語る方法も大成功、圧倒的な大衆の共感を得て大統領選を勝利に導くこととなった。

大統領選終了後も主任スピーチライターとしてホワイトハウス入り。大統領就任演説ではオバマ大統領と何度も打ち合わせをし、自宅やスターバックスで時には1日16時間も考え込んだ。

「オバマ氏になりきるのがコツ」とオバマ氏の自伝を常に持ち歩き、主な演説は暗記。「オバマ氏自身が最高のスピーチライター。それを手伝うのが自分の役目」とあくまで謙虚な姿勢を崩さない。好きな演説家は故ロバート・ケネディ。だが「政治に関わるのはオバマ氏で最後」、将来は小説家か映画の脚本家になるつもりという。