ヤマダ電機会長兼CEO 山田 昇(やまだ・のぼる)
1943年、宮崎県生まれ。63年、日本ビクター入社。73年に群馬県前橋市で「ヤマダ電化センター」を開業して独立。後に量販へと業態転換して売り上げを急増させた。2002年から業界トップを独走中。
「ヤマダショック」──。深刻な消費低迷を印象付ける出来事が市場に衝撃を与えた。快進撃を続けてきた家電量販首位のヤマダ電機が2009年3月期連結業績予想を下方修正した。これまで増益を維持してきたが、不況による消費低迷が影響し、連結会計導入後、初の経常減益見通しとなった。
業界4位のケーズHDは増益見通しだが、エディオンやコジマが当期純損失に陥るなど消費不況の中、家電量販店の経営は厳しさを増す。再編・淘汰の機運は否応なく高まっている。
「全国チェーンに3、4番手はありえない。1、2番は利益が出るが、3番は利益がなく、4番は潰れる」。ヤマダの創業者、山田昇会長兼最高経営責任者(CEO)はこう語ったという。この言葉は、コジマとの熾烈な北関東戦争を生き抜いた猛者の達見といえる。家電量販業界には「首位から落ちた会社は二度と浮上できない」というジンクスが存在する。それだけに首位を維持することは大きな意味を持つ。
ヤマダは減益とはいえ、連結売上高は1兆8950億円と増収を見込み、その規模は2位のエディオンの2倍超。02年3月期に首位に立つとひたすら拡大路線を突っ走ってきた。キムラヤセレクト、サトームセン、九十九電機を傘下に収め、かつての首位、ベスト電器の買収を模索。地方の郊外型から大都市駅前の大型店、小商圏の中小型店へと全方位で出店を加速させた。
その結果、セブン&アイHD、イオングループに次ぐ流通業界3位に躍進。最近は、自動車やブランド品、食料品を一部店舗で扱うなど家電量販店の枠を越え始めた。中期目標は連結売上高3兆円。社長業は甥の一宮忠男氏に譲ったが、主要店舗の新規オープンには、必ず野心に満ちた山田氏の姿がある。