「お前は川で拾ってきた子だ」

松竹さんは、関東地方の町工場で働く父親と専業主婦の母親、10歳違いの姉の4人家族で育った。松竹さんが物心ついた時、すでに“家庭内いじめ”は始まっていた。

「両親は男の子が欲しかったのだそうです。私が物心ついた時には、『お前は川で拾ってきた』『どんぶら子、すっこっ子』と毎日のようにいじめられて泣いていました。10歳上の姉はいわゆる不良になって、気に入らないことがあると私のことを叩いていました」

4歳になった松竹さんは、親戚の家のゴミ捨て場にあったおもちゃのピアノを拾って帰り、遊びで鍵盤を自由にたたき歌い始めた。初めてのピアノなのに、メロディーになっていた。驚いた両親は、末娘を音楽教室でピアノを習わせ始めた。

習い始めのピアノを弾く女の子の手元
写真=iStock.com/Sam Edwards
※写真はイメージです

「両親は鼻高々で、親戚の前で私にピアノを弾かせるのですが、その裏では、『お前は努力をしない怠け者だ』と言って貶められたり、『一回も間違えずに引け』とプレッシャーを与えられたりしました」

両親はオルガンだけは買い与えてくれたが、音楽教室の教師にピアノを買うことを勧められると、1年後にしぶしぶ買った。

「両親にはものすごく文句を言われました。『ピアノを買ったから』ということで、私はその後のクリスマスや誕生日のプレゼントはなしでした」

松竹さんのピアノの腕はメキメキ上達し、小学校に上がる前にはピアノコンクールの全国大会に出場。やがてピアノ教師から学ぶことがなくなると、別のピアノ教室に移った。だが、月謝が上がったことが不服だった両親は、松竹さんの意思を聞かずに数カ月でピアノを辞めさせてしまった。

県内で一番の進学校で不登校

松竹さんは小6の時、担任教師に勧められ、国立大学附属中学を受験すると、見事合格する。

勉強があまりできなかった姉は、私立の中学から大学までエスカレーター式に進んだが、大学を中退して結婚。もともと二世帯住宅だった松竹さんの家には、父方の祖父母が同居していたが、両親と折り合いが悪くなった祖父母が別の親戚の家に移ったため、そこに姉夫婦が転がり込んだ。

すると松竹さんの母親は「更年期障害」と言って父親や松竹さんの分の家事を放棄し、自分のことしかしなくなった。

「母は、『親に頼るな、自立しろ』と言って寝てばかりで、姉のところへ行っては孫を抱き、食事を食べさせてもらっていました。満足に着替えも与えられていない私は、わずかなお小遣いを貯めて、自分で下着や服を買っていました」

町工場に勤めていた父親は、約3年周期で転職を繰り返していた。仕事を辞めるたびに夫婦喧嘩になり、母親は「離婚だ!」「自殺する!」と騒いだ。

「貧乏で、飲み物は水だけ。おかずがない時は塩を振って御飯を食べました。食べ物のことで何か言うと、『文句を言うんじゃない』と父にグーで殴られ、こぶができました。母に言い返せない憂さ晴らしだったと思います。それを見て母は面白がっていました」

栄養状態が悪かったせいか、中3の頃から急激に体力も気力も衰えていった松竹さんだったが、高校受験では県内で一番の進学校に合格。

しかし、両親は喜びもせず、褒めもしない。中学の卒業式さえ来ない。絶望した松竹さんは、高校で不登校気味になってしまう。

「学校から電話がかかってきても、母は『怠けている、わがままだ』と言って、すべて私のせいにしました。高校のクラスメイトは親がエリートで自己肯定感が高い子ばかり。自己肯定感がめちゃめちゃ低く、みすぼらしい私は浮いていたと思います。勉強が遅れ始めた私を心配した家庭科の教師は、近所の卒業生に声をかけて家庭教師を募ってくれましたが、母は『他人が家に上がり込むのは絶対に嫌だ』と猛反対。学校を休みがちになった私を見て、母はとても嬉しそうでした」