一夜にして“よそ者”が信長の右腕になった

だが、「誰が直接手を下したか」については、何も書かれていない。冒頭の光秀の書状は、その誰かが光秀だった可能性をほのめかしている。一方、秀吉・秀長の豊臣兄弟が関わったことを示す史料はない。

この前年の元亀元年(1570)8月、信長と熾烈な戦いの渦中にあった浅井長政・朝倉義景の軍勢が比叡山に逃げ込み、立て籠もると、延暦寺はあからさまに信長に敵対する姿勢を見せ、浅井・朝倉を支援した(志賀の陣)。

このときは正親町おおぎまち天皇の調停によって和睦したが、信長が「(今後は)中立を保ってほしい」と要請したにもかかわらず、以降も比叡山は信長への敵意を崩そうとしなかった。