韓国語の表現と思考の相関関係は何か。元内閣府事務次官の松元崇さんは「韓国語には『させていただきます』という相手から見ての表現がなく、自分を中心に『してあげます』としか言わない。韓国人の感覚では自分を相手よりも下に置くというのはとても卑屈なことで、謙虚とは違う」という――。

※本稿は、松元崇『武器としての日本語思考』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

面接の様子
写真=iStock.com/Nuttawan Jayawan
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相手の身になっての表現がない韓国語

日韓歴史共同研究で韓国側の学者がとった、自国の歴史観に反する指摘には論拠を示すこともなく拒否するという姿勢は、「証拠より論」を重視する英語の議論です。その背景にあるのが、韓国語も日本語と違い英語と同じように「主語」を使うことだと考えられます。

言語学上、韓国語は日本語と同じ膠着語こうちゃくごという言語グループに属し、似ているところも多いのですが、日本語と違い「ウリ(私たち)」という主語を多く使います。そのように主語を使う韓国人は、西欧人と同様に自分を中心に世界を認識しています。

それは、韓国語に相手の身になっての表現がないというところに現れています。例えば、「させていただきます」という相手から見ての表現がありません。自分を中心に「してあげます」としか言わないのです。

これは、自然を相手にした場合も同様で「雨に降られた」というような表現がなく、「雨が降った」というのです。かつて『スカートの風』というベストセラーを著した韓国生まれの日本研究者、呉善花オ・ソンファ氏は、日本語の「雨に降られた」には「先生に叱られた」という表現に通じるものがあり、言外に自分が悪かったので仕方がないということを含んでいる。