唯一の決断「娘を生かして、自分は死ぬ」

伝言ゲームではあるが、「突然輿をとめて女中を押しのけた」という細部のリアリティは、作り話には出にくい描写だとすれば、語り継がれた話と考えても間違いではないだろう。

史料が語るお市の能動的な選択は、実はここだけである。娘たちを輿に乗せて送り出したこと。秀吉に娘たちの身柄を託す書状を書いたこと。そして自分は城に残ったこと。

最初の結婚は信長が決めた。再婚は勝家と信孝が決めた。生涯を通じて、お市は誰かに動かされ続けた。それでも、最期だけは自分で決めた。娘を生かして、自分は死ぬと。

だがその「自分で決めた」という感覚を、少し疑ってみてほしい。「信長公の御妹」として生きてきた女が、夫を滅ぼした敵・秀吉の庇護に入ることは、アイデンティティの完全な崩壊を意味した。秀吉と共に生きることは、信長の世界に戻ることだ。それだけは、できなかった。

しかし考えてみれば、その「できない」という感覚はどこから来たのか。「織田の女としての誇り」は誰が植え付けたのか。信長である。プライドも、価値観も、そして死の選択すら最初から最後まで、お市は信長の呪いの中にいたのである。

信長に翻弄され続けた人生

自分で決めたつもりが、選ぶ基準ごと他人に設計されていた。

創作だと、やたら美女扱いされたり有能扱いされたりする、お市のなんだか腑に落ちない最後、それを問われれば、お市はこう答えるかもしれない。「私は一度も、自分で選んだことなどなかった」と。

なお、北ノ庄城落城の様子は当時の庶民にとってもリアルタイムの大ニュースだった。その噂話と伝聞を素材にして、小瀬甫庵は燃える城の中の「感動的な最後」を書き上げた。文字通りの炎上案件である。

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