「豆屋」から始まったドトールの物語

ドトールの鳥羽と、スターバックスのシュルツのストーリーには、多くの共通点があります。鳥羽が育ったのも、シュルツと同じくとても貧しい家庭でした。若い頃に喫茶店やコーヒーの卸会社で働いたのち、誘われてブラジルに渡り、農園で働きます。そして帰国後の1962年、「ドトールコーヒー」を設立します。焙煎した豆を喫茶店などに卸す商売からスタートしたとき、最初のメンバーはたった3人でした。

そんな中、京都のとある喫茶店との出会いがターニングポイントになります。一般的な喫茶店が1カ月に使う豆の量は5〜10kg程度ですが、その店では30〜50kgと桁違いの使用量でした。鳥羽はどんな店なのかと見に行きます。この点も、シュルツがシアトルまでスターバックスを訪ねて行ったことと共通しています。

鳥羽が訪れた京都の喫茶店は、明るく開かれた空間で、主婦、高校生、ビジネスパーソンなど幅広い客層が出入りしていました。当時の喫茶店といえば、薄暗い中でジャズやクラシックが流れる、「大人の雰囲気」の店が主流。誰もが入れる明るい雰囲気の喫茶店は画期的でした。

カフェで働く店員
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「入りやすさ」に重点を置いて成功

感銘を受けた鳥羽は、「誰でも入りやすい喫茶店をやってみよう」と考えたのでしょう。1972年、東京・三軒茶屋に1号店「カフェ コロラド」をオープンします。コンセプトは「明るく、健康的で、誰でも入りやすい店」でした。

この店が大ヒットし、鳥羽のもとには次々と出店依頼が舞い込みます。当時はまだフランチャイズの仕組みもなく、「看板を使ってもいいけど、コーヒー豆はうちのを使ってください」というスタイルで、10年でなんと250店舗まで拡大しました。

そして、鳥羽もあるとき、シュルツと同じくヨーロッパを視察し、パリで立ち飲みスタイルのカフェ文化に出会います。これはドトールの「エキナカ・街角」のホッと一息というコンセプトにつながりました。

さらに西ドイツで出会った「家庭用にコーヒー豆を挽いて売るコーナー」が、喫茶とコーヒー豆販売というスタイルに、スイスで出会った「清潔で機能的な焙煎工場」が徹底した品質管理と独自の焙煎技術の根幹となりました。ヨーロッパ旅行で得た鳥羽の気づきは、後のドトールの方向性に大きな影響を与えたのです。