ユニクロとZARA(ザラ)はなぜ世界的に売れているのか。経済学者の坂出健氏は「“広く、安く、自由に”をモットーとするユニクロと、トレンドファッションを強みとするザラ。両者は製造・流通工程こそ似ているものの、消費者から選ばれている理由はまったく違う」という――。

※本稿は、坂出健『贅沢と欲望の経営史 あなたはなぜ今日もスタバに行ってしまうのか』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

富士山を背にしたユニクロの店舗看板
写真=iStock.com/Kokkai Ng
※写真はイメージです

日本のファッション流通の歴史

ユニクロが登場するまでの日本のファッションの時代を振り返ってみましょう。第一は、百貨店の時代です。1960年代、まだ「ハレ(特別な日)」と「ケ(日常)」がきっちり分かれていた時代に、「ハレの日」を演出する場所として百貨店が注目を集めました。

この頃の百貨店は、ブランド品を中心に「豊かで華やかな品揃え」を売りにし、特別な日を彩る買い物体験を提供していました。当時の一般市民にとって、デパートはちょっと背伸びして贅沢をする憧れの場所でした。

その次に訪れたのが「安くて良いモノ」の時代です。1970〜80年代には、ダイエーやイトーヨーカドー、ジャスコ、西友などの「総合スーパー(GMS)」が登場し、「大量に仕入れて、大量に売る」ことで価格を下げました。この頃から、「高いから良い」じゃなくて、「安くても十分おしゃれ」という価値観が広がっていきます。いわば、誰もが気軽にファッションを楽しめるようになった時代です。

1990年代に入ると、「カテゴリー・キラー」の時代がやってきます。「カテゴリー・キラー」とは、ある分野に特化した「専門量販店」のことです。スーツの「洋服の青山」、カジュアル衣料の「ユニクロ」や「しまむら」は、郊外の大通り沿いにどんどん出店し、運営の標準化でコストを抑えながら、「そのジャンルならここが一番安いし、品揃えも豊富」と思わせる戦略をとりました。

ユニクロという革命

そして、1990年代後半〜2000年代には、SPAという「作る」と「売る」を一体化したビジネスモデルが登場します。もともと、ギャップが提唱したこのモデルは、ブランド側が消費者の動きを見ながら、自分たちで商品を企画・製造し、さらに自社の店頭で販売までするというものです。このやり方で、価格と品質の常識が大きく覆されました。日本ではユニクロ、ヨーロッパではザラが代表格です。

ユニクロの創業者・柳井正が、家業の紳士服店を継いだ頃、日本では接客ありきの販売スタイルが主流でした。欧米を旅したときに訪れた「誰でも自由に、気軽に入って買える店」に感銘を受けた柳井は「もっと自由に、まるで本屋やレコード屋みたいに、服を選べる店を作りたい」と考えました。

この思いを形にしたのが、1984年に広島にオープンしたユニクロ1号店です。その後は、郊外のロードサイドに次々と出店していきます。創業から1990年代にかけてのユニクロの具体的な戦略は以下の2つでした。

①ユニセックス&ノンエイジのベーシックデザイン
②圧倒的低価格