店舗数国内1位のスターバックスコーヒーと2位のドトールコーヒーは、なぜ成長を続けているのか。経済学者の坂出健氏は「スタバとドトールは別のこだわりを追求した結果、現在の地位を築き上げている。消費者にとって、スタバ、ドトールでの体験にはそれぞれ異なる意義がある」という――。

※本稿は、坂出健『贅沢と欲望の経営史 あなたはなぜ今日もスタバに行ってしまうのか』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

シュルツとスターバックスの出会い

スターバックスの顔ともいえるハワード・シュルツは、1953年にニューヨークのブルックリンで生まれました。父親は労働者で、一家は共同住宅で貧しい生活を送っていました。シュルツ少年は12歳から新聞配達、16歳のときには毛皮工場でアルバイトをしながら、アメリカン・ドリームに強く憧れて育ちました。

アリゾナ州フェニックスで開催されたイベントで講演するハワード・シュルツ氏
アリゾナ州フェニックスで開催されたイベントで講演するハワード・シュルツ氏(写真=Gage Skidmore/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

シュルツにとって、夢を実現する手段はスポーツでした。アメリカンフットボールの実力でノーザン・ミシガン大学にスカウトされ、奨学金を受けて進学します。

大学を卒業後、いくつかの職を経て、シュルツは調理用具・雑貨を販売するハマープラスト社のアメリカ営業本部長として働いていました。ある日、シアトルのある小売店からドリップ式のコーヒーメーカーの大量発注があり、気になったシュルツは、その店に直接、行ってみることにしました。

その店こそがスターバックスでした。そこで初めて飲んだコーヒーの味に感動したシュルツは、後にスターバックスの経営に参画するようになります。

1971年に創業されたスターバックスは、常に「深煎り」の豆だけを使い続けるという一貫性がありました。そして「お客さんが求めているものを売る」だけでなく、「お客さんがまだ知らない、でも知ったら好きになるもの」を提供するという姿勢がありました。

顧客の味覚を育て、発見の喜びを与える。こうしてスターバックスは、「ファン」ではなく「熱心な信者」を作っていたのです。

サードプレイスの文化を持ち込む

あるときイタリアを旅したシュルツは、イタリア人が日常的にコーヒーを飲むバールに感銘を受けます。イタリアのバールは、単にコーヒーを飲む場ではなく、「人と人とのつながり」が生まれる場所です。

「スターバックスには足りないのはこれだ」と気づいた彼は、家庭と職場とは区別される「第三の場所(サードプレイス)」としてのカフェ文化をアメリカに持ち込みます。アメリカ人が知らなかったカフェラテもこのときに導入され、のちにシアトル、全米、そして世界へと広がっていきました。スターバックスはユーザーを「教育」していったのです。

そんなスターバックスにも危機が訪れます。1994年、ブラジルで深刻な霜害そうがいが発生し、コーヒー豆の価格が急騰します。多くのコーヒー関連企業は即座に値上げしましたが、スターバックスは違いました。

値上げは避けられない。でも、それをどう伝えるかが大切だ、とシュルツは考えます。スターバックスは、お客さんに対して正直に、原材料費の高騰とその影響を説明し、理解と共感を求めました。これが、顧客からの信頼をより強固なものにしたのです。