「人を信用しない設計」の必要性
「先生は子どもの味方であるべき」
「ちゃんと対応してくれるはず」
こういう前提で作られたシステムは、一人でもサボる人がいたら崩壊する。だから必要になるのが「仕組み」です。
たとえば、
・暴力や金銭要求が報告された時点で自動的に第三者機関に通知
・一定期間内に対応がなければ強制的に調査開始
・隠蔽が発覚した場合は厳罰
・一定期間内に対応がなければ強制的に調査開始
・隠蔽が発覚した場合は厳罰
こういうルールを作る。嫌な言い方をすれば、「人を信用しない設計」にする。
「そんなに厳しくしたら教師が減る」という意見も、出るかもしれません。
でも、逆なんですよね。ちゃんとやっている人からすると、サボっている人が守られている環境のほうがストレスなんです。だから、責任を明確にしたほうが、まともな人ほど働きやすくなります。
「責任を取らない優しさ」の残酷さ
最後にもう一度言います。問題は「いじめがあったこと」じゃありません。それはどこでも起きる。
問題は、「止められたのに止めなかったこと」です。しかも、大人が。教師と名のつく大人たちが、「止めなかったこと」です。
そして、この構造が変わらない限り、文房具の貸し借りから始まって、暴力になって、金銭要求になって、最後は「死にたい」になる。この流れは、何度でもくり返されます。
日本はよく「優しい社会」と言われます。でも実際には、「責任を取らない優しさ」が支配している。
謝るけど、変わらない。反省するけど、辞めない――。それでは、誰も守れない。
なので、今回の件についてのシンプルな答えはこれです。
「放置した大人が、なぜクビにならないのか?」
この問いに対して、ちゃんとした答えが出ない限り、同じことは何度でも起きるでしょう。


