「1年間のニート生活」に立派な意味

高等小学科校を出て以来、働きづめの宗一郎に何があったのか。彼は働かなかったが、一生懸命だった。働かない代わりに真剣に考えていた。

ぼーっとするのも、草むしりを頼まれ、1本しか抜かないふるまいも集中して考えていたからだ。酒を飲むのも、ポジティブに解釈すれば頭を冷やすのに必要な作業だった。なぜ、それほどまでに考える時間が必要だったのか。

彼には世間がわからなかった。戦後に価値観が180度変わった社会に宗一郎は違和感を抱いていた。

ついこの間まで、「天皇陛下、ばんざーい」と何も疑わずに繰り返し、鬼畜米英を竹やりで突こうとしていたのに、今や「ギブ ミー ア チョコレート」でアメリカ礼賛、民主主義礼賛である。

「欲しがりません、勝つまでは」が、勝てなくても欲しがってる。なんじゃこりゃとなったのである。

仕事が嫌になったわけでも昼から酒を飲みたかったわけでもなく、世間の急激な変化に何も考えずに身をまかせられなかったのだ。1年間の休業は民主主義を、世の中の変化を考えるための期間だった。

ミニチュアの日章旗と星条旗を手に持つ男性
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです

酔って芸者を2階から投げ飛ばす

その後の宗一郎の成功はみなさんもご存じのとおりだろう。自転車に補助エンジンをつけた「バタバタ」がヒットして、本格的なオートバイ生産を開始する。

1963(昭和38)年には4輪軽トラックT360を発売。以後、ホンダN360、シビックなどの乗用車も手がけ、世界的な自動車メーカーに成長する。原動力になったのが自由闊達で平等な社風だが、そうした土壌は宗一郎の1年と決して無縁ではない。

宗一郎は評伝などではアグレッシブな人物として描かれがちだ。

飲み会で芸者そっちのけで仕事の話をしていた部下を翌日呼び出し、「芸者の話は仕事の話より大事だろ」と雷を落としたかと思えば、自分は飲み会で酔っ払って芸者を2階から窓の外に投げ飛ばしてしまう。

確かに偉人の中でも精力的なタイプではあるが、同時に哲学の人でもあった。自分の休業の1年を振り返って「世間がわからないのに仕事をするというのは、地盤のやわらかいところに物を建てるみたいなことだからやめた方がいい」とし、民主主義が何かわかっていれば自分もすぐに仕事をしたと語っている。