「しばらく留守にします」という妻のメモ
午前6時50分、正確な体内時計によって目覚まし時計も使わず起床すると、洗面台へと向かう。家庭内の空気にどこか違和感を抱きながらも、身支度を整えてダイニングチェアに座る、その寸前になって、ある一行のメモ書きが目に飛び込んできた。
〈いろいろ考えたいので、しばらく留守にします〉
妻からの書き置きだった。なぜ、妻が家を出ていったのか――。全く思い当たる節がない。頭が混乱しつつも、目に映るのは、妻不在を除けば、いつもの日常だ。
自分よりも少し遅れて目を覚ます高校2年生の長男、中学3年生の長女のいずれも、平然と食パンをトースターで焼いて、冷蔵庫から牛乳、オレンジジュースを出し、妻が作り置きしておいたとみられる総菜2、3品を分け合って食している。自分だけ、別世界にいるかのようだ。
朝食時に妻子とほとんど会話を交わすことはないが、朝食はご飯に納豆、焼き魚、温野菜、みそ汁と決まっている。それがない。困ったものだ。
いつもより早い時刻に家を出て、自宅最寄り駅近くのファストフード店でホットコーヒーだけを注文する。今朝起きてから初めて口にする飲み物が一気に体にしみわたる、と同時に、ようやく事の重大さを認識し始めた。
家出した理由がわからなかった
「自分勝手なことをしやがって……。困った、では済まされない。もし、戻ってこなかったら、いったい誰が食事の世話とかするんだ⁉」
この期に及んでも、自分自身のこれまでの言動を振り返ることはなかった――。
これはメーカーに勤務する当時51歳の竹内篤さん(仮名)の証言をもとに、2023年春、突如として、妻が家を出ていった朝の様子と心情を再現したものだ。竹内さんはどうして、不意に妻の「家出」に直面したのか。その背景にあるケア力の欠如について、これまで20年余りに及ぶ継続取材を振り返りながら考えたい。
竹内さんには2002年、30歳で独身の時に性別役割分業について意見を聞いたのが始まりだった。当時、女性の育休取得率は64.0%と現在(24年度、86.6%)よりも約22ポイント低いものの、上昇の一途をたどり、世論にも後押しされ、企業は両立支援策に本腰を入れ始めていた。
男性側も職場や公的な場では、「男性は仕事、女性は家庭」という固定的な性別役割分担の考えを示すケースはほとんどなくなっていた。

