400本のソメイヨシノと秀吉の夢の跡
続いては、肥前名護屋城(佐賀県唐津市)を第4位に推す。この城は秀吉が朝鮮出兵の本営として築いた臨時の城だが、それにしては手抜きがなさすぎる。九州北部の東松浦半島の北端、標高約90メートルの丘上に、大大名の居城を凌駕するどころか、自身の大坂城や伏見城にも負けない大城郭を築き、人口20万人の城下町を出現させたのである。
総石垣で、本丸には金箔瓦が葺かれた五重天守がそびえ、絢爛豪華な御殿が建ち、二重以上の櫓の数は10を超え、秀吉のための茶室や能舞台まであった。その周囲には全国から集められた大名たちが布陣し、一つひとつの陣が独立した城ほどの規模と構造だった。
城が島原の乱のような一揆に使われるのを恐れた徳川幕府の手で、石垣は隅角部を中心にかなり崩されているが、それでも、広壮な石垣上から17万平方メートルもの城域を見渡すと、秀吉が獲得した権力の途方もない大きさと底知れぬ野望、そのために払われた犠牲に思いがおよんで眩暈がする。
大手口から登城坂にかけての桜並木をはじめ、城内には約400本のソメイヨシノが咲き誇り、秀吉の夢と野望の跡を彩る。
「天空の城」は桜も美しい
第3位は、「天空の城」として知られる竹田城(兵庫県朝来市)。播磨(兵庫県南西部)と但馬(兵庫県北部)の国境の要所にあり、応仁・文明の乱の西軍総大将として知られる但馬国守護の山名持豊が配下に築かせたとされる。天正8年(1580)、秀吉による但馬攻めに際し、生野銀山を確保する目的もあり、秀長が攻略して落城させ、その後、城代になった。ただ、いまに残る石垣は主に、天正13年(1585)から城主を務めた赤松広秀が整備したとされる。
この城が「天空の城」として映えるようになったのは、標高353.7メートルの山上を、木を伐るなどして整備し、石垣を見ごとに露出させたから。全国の山城が同様に整備されると、魅力が増すのだが。
竹田城内の桜はソメイヨシノ、ヤマザクラ、カスミザクラなどで、30本程度ではあるが、山上の雑木が伐採されているから桜が映える。4月1日から5月7日には、夜桜のライトアップ(18時30分~21時)が行われ、立雲峡展望などから観桜できる。
竹田城に朝が来た
— 【公式】竹田城跡(兵庫県朝来市) (@takeda_castle) April 6, 2024
春の絶景きたー pic.twitter.com/5mrahZKGL0
第2位は、秀吉が中国攻めに際して徹底的な兵糧攻めにより、「鳥取城の渇え殺し」と呼ばれる凄惨な状況が生み出された鳥取城(鳥取県鳥取市)。人肉を食らう者も続出したというこの世の地獄で知られるが、現在につながる近世城郭に整備したのは、元和3年(1617)に姫路から転封になった池田光政だった。



